本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

好きなものをどんどん語ります

三年間働いた会社を辞めてきた話。

 

タイトル通りの話になるのだけれど、

新卒で入社して三年間働いた会社を辞めてきた。

 

有給消化の期間があるので実際のところは今月末まで会社に籍は残るが、出社自体は3月の頭に終えてきたところである。



「会社を辞めるってどういう気分なのかなあ。」とぼんやり想像はしていたけど、いざその時を迎えてみれば意外とあっけなくて、辞めたことに関しての開放感もそれほどなく、ただただ淡々と終わってしまったなあ、と。直属の上司に「辞めます」と伝えた瞬間が緊張のピークだったかもしれない。その上の上司へ、そのまた上の上司へ話が進む時はポケモンのバトルタワーへ向かっていくみたいで内心ちょっと笑ってしまった。

 

 

自分で言うのもあれだけど、辞めるような雰囲気や素振りが一切出ていなかったので心底驚かれたんだと思う。思っていたよりも厳しい言葉をかけられたし、もう少しこっちで頑張ったほうがいいと引き止められた。でも説得されたところで気持ちを変えるつもりがなかったので冷静に話はできた。

 

次の転職先でも今の仕事と関わりがあるため、中途半端な辞め方をすると絶対に双方に迷惑がかかってしまう。だから退職が決まっているわりに(?)、めちゃくちゃギリギリまで仕事をしていたし、最終出社日まで自分の身辺整理よりもお客さんへの連絡や先輩への引き継ぎを行っていた。そういうギリギリな部分は直さなくては…と思いつつ、おかげで辞めた実感が全然無い。そこで自分自身の気持ちの整理も込めて、ブログに三年間のいろいろを書き綴ってみようかと思ってPCを開いたところだ。



 

 

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自分の勤めていた会社は本社が東京や大阪などの都会に位置しておらず、むしろ田舎といっていい都道府県に構えられていた。全国はもちろん世界にも展開しているなかなか大きい会社だったにもかかわらず、本社の所在地は創業当時から変わらなかったらしい。同期は100名近くいたと思う。その地元出身が4割ほど、残りの6割は他府県から来た子たちだった。



4月1日の入社式を終えてから約二ヶ月間、5月末までは本社内の研修施設で過ごすことになった。この研修っていうのが、思い出すとやばかったというか、今では笑い話にできるけど『THE・体育会系』の研修ですと言わんばかりの内容だったなあ、と。

 

・平日は朝6時からランニング→ラジオ体操第一・第二(声が小さかったらやり直し)

・外出が認められるのは金曜日の終礼後〜日曜日まで

スマホは基本的に没収(返却されるのは水曜日・金曜日の終礼後)

・毎日大リーダーを決めて掃除の割り振りなどを決める日直的なことをする。

 

 

あとは山登りで多くポイントを得たチームが優勝する山岳訓練的なこともした。研修は自主自立を重んじる傾向にあったので、積極性に長けた子はどんどん伸びるし同期ともすぐ打ち解けていった。社会人は学生と違って自分から動かなければ何も始まらないということを、研修の二ヶ月間で身を持って体感させられたのだと思う。



そして6月から各都道府県の営業所への配属となり、ここで初めての実務経験となった。研修の中で大枠は学んでいたものの、実際の現場では全く同じ研修通りになっているはずもなくて、頭の中で描いた想像と実際に目で見たり聴いたりした経験のすり合わせで、いっぱいいっぱいになる毎日であった。

 

自分の仕事は主に客先へ出向いて行う現場仕事がメインで、事務所で一日を終えることはほぼない。サラリーマンなのか工事業者なのか、よく分からなくなるんだけど両方を兼ねていると言っていいのかもしれない。

 

そのおかげで工具全般の名前と使い方は大体覚えたし、配管を見れば口径が分かるようになってしまった。大学で世界経済について学んでいた頃を思うと、こんなスキルが身につくとは思っても見なかった。笑ってしまう。

 

SK11 アルミパイプレンチ 450mm SPW-450A

SK11 アルミパイプレンチ 450mm SPW-450A

  • メディア: Tools & Hardware
 

 ↑「パシフィック・リム」にこういう顔の怪獣いましたよね。

 

 ↑これめっちゃお世話になりました。



 

 

 

仕事の性質上、扱う知識がどうしても理系的なものばかりになるので、ど文系出身の自分はなかなか厳しかったなあ…と思う。研修期間に熱学・電気・化学の基礎をもう一度勉強をしたけど、それが無理だったから文系に転換したわけなので、まさに"あの時立ちはだかった強敵が再び眼前に現れた"状態だった。

 

少年漫画であれば敗北をキッカケに得た一発逆転の策を使って、見事にリベンジマッチを果たすわけだけど、そう上手くはいかないのが世の無常なところ。勉強して分かったつもりでもすぐに忘れ、また勉強してすぐに忘れ、これの繰り返し。もともと全体的に不器用なため、慣れるまでに時間がかかったし、業務もなかなか覚えきれず、一年目は特に一分一秒がしぬほど長く感じて、毎日会社に通うことがとても辛かった。

 


基本的に社用車を一人一台与えられて単独で行動する。自分の担当エリアを持ち、定期的に訪問するところもあれば、急を要する修理で駆けつけたりもする。難しいのが結局はお客さん優先で動くので、自分のスケジュール通りに動けないこともしばしばあった。そのため定時に帰るのも難しいし、早朝だったり夜遅くまでの仕事になるときもあった。



業務が体力的にも知力的にも大変だったにもかかわらず、職場の人間関係が良好だったのは救いだった。配属された営業所は自分に年齢が近い先輩や上司も多く、分からない所があれば教えてくれたり相談をしやすい環境にあった。客先の現場で解決できない問題にぶち当たったりすると、電話で聞きながら作業をしたり遠いところまで駆けつけてくれたり、ほんとに頭が上がらないし今でも感謝の気持ちでいっぱいである。

 

 

〈今まで経験したやばかった出来事〉

・部品交換で漏電させてしまい工場内が全停電。エレベーターも止まる。

・配線が元通りにならず夜中の2時までかかり、当時の上司に駆けつけてもらう。

・朝の9時から23時までずっと同じ現場で原因探るために居座っていた時。

・夏場の病院の地下設備が暑すぎて熱中症一歩手前になりかける。

 

などなど、今思い返せば笑い話にできることばかり(笑っていいのか??)。

 

 

 

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ここまで書いてある通り、定時にあがれる時はほぼ無いし、業務量も多いので決して楽な仕事ではない。しかし、相手するお客さんにも職場の人間関係にも恵まれたので、わざわざ辞めるのはどうしてなの?と思われるかもしれない。正直、やっと業務内容のことも分かってきて自分にできることが増え始めた頃ではあった。

 

 

理由は一つ、自分のステップアップのため。

こう書いてしまうとめちゃくちゃ意識高い系のように感じてしまうので、自分自身が一番むずかゆい気持ちになるのだけど、これ以外に的確な言葉が見つからない…。平たく言うと今の職場でできなかったことを次の職場では出来るようになる、って感じでしょうか。ほんとは色々理由があるんですけど、それは追々どこかで書ければなと思ってます。



4月からの転職先は今の会社よりも規模は縮小するが、おそらく業務内容の量としんどさはほぼ同じ。上手い例えが見つからないんだけど、野球をやってた人がサッカーを始めるような感じ??ボールを扱うという意味では同じって言えばいいのだろうか。

 

三年間この仕事をやって、「何でこの仕事を俺はやってるのか」と考えるときが何度もあった。他の誰かのために役立っていることは分かる。でもわざわざ苦手な分野を覚えてまで不慣れな作業に取り組み、朝から夜まで一日がほぼ仕事で終わる毎日を送り、それが自分の仕事のやりがいに繋がっているのか、ぶっちゃけよく分からなかった。もしかすると、それは仕事をこの先も続けていれば見つけられた答えなのかもしれない。そう思うと少しもったいないことをした。



でも今の仕事を辞める時に、お世話になったお客さんのところへ挨拶に行くと、「(辞めたら)うちのトコにおいでよ」「近く寄ったら顔見せてね」「ほんとに色々頑張ってくれた」「よくやったね、お疲れ様」といった言葉をかけてもらうことがあった。この時に初めて、自分がやってきたことに意味はあったんだなあと感じた。




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三年間の経験が次の仕事にどこまで活かせるのだろうか、それに中途採用なので即戦力として動かなければならない。そして今の仕事で一人前になる途中だった自分が、次の職場へ行ってやっていけるのだろうか。これから積み重ねていくにしても耐えられるのか。そういうプレッシャーが重くのしかかっているのは事実だし、自分はそれに応えなければならない責務があるよなあ、などと考えているとキリが無くなってくる。こういう時はあんまり考えすぎないほうがいいんでしょう。



人生には色んなターニングポイントがある。まだ四半世紀しか生きていないが、曲がりなりにも色んなことを経験してきた。今回の転職もそのひとつなんだと思う。「あの時、転職をして良かった。」と振り返った時に思えるかどうか、自分の決断が正しかったと思えるかどうかは、これからの自分の行動にかかっていると思うので、腹をくくってやるしかないなと。あとは進んでいくのみ。振り返るのはもう少し後からにしておく。



ひとまず、三年間お疲れさまでした、俺。

有給消化の一ヶ月で身体壊さないように気をつけろよ!