本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

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感想『星合の空』という作品が伝えたかったこと、そしてまだ見ぬ"続編"に託したこと

 

 

 

2019年に放映された『星合の空』というアニメ作品を、先日視聴し終えました。こちらもTwitterで仲良くさせて頂いている方からのオススメだったのですが、とにかく内容には触れず「お願いだから!!見てぇーーーー!!」的なテンションに押されつつ(??)、意は決したもののTSUTAYAをはじめ他のレンタルショップにも置いておらず、各種サブスクでもなかなか配信されていないという……。しかし「dアニメストア」に見つけることが出来たので、「これは見るしかない……!!」と勢いで視聴したところ、なんと一週間ほどでイッキ見してしまったのです。



 

 

これが""二年前の作品""って、マジ???



 

 

そんな『星合の空』という作品が、どういったアニメなのか。

 

簡単にあらすじを書いてみる。

 

志城南中学校の男子ソフトテニス部で部長を務める新城柊真(しんじょう とうま)(cv.畠中祐は、やる気もなければ部員も少ないこの弱小チームを立て直そうと日々奮闘していたが、夏の大会で最低でも一勝をしないと廃部にされることが決定してしまう。そんな中、”ある出来事”がキッカケで志城南中学校へ転校してきた、幼なじみの桂木眞己(かつらぎ まき)(cv.花江夏樹と再会する。眞己の運動神経に一縷の望みを見出した柊真は、彼をソフトテニス部へ勧誘する。

 

といった感じ。

 

 

 

まず率直な感想を述べると、めちゃくちゃ面白かった。

 

廃部寸前の弱小ソフトテニス部を舞台に、部活動へ一生懸命に打ち込む男子中学生たちの青春と彼らを取り巻くさまざまな群像劇が描かれる、王道のスポーツアニメだった。

 

主人公の眞己が中学生にしてはかなりのキレ者で、あえて反感を買うような言葉使いで部員を煽り闘志に火をつけつつ、ペアに自信をつけさせるためにわざと負けたり、その上で試合に勝つための戦略や攻略法を編み出したり、かなりクレバー。そんな眞己とは真逆の性格を持つ部長の柊真は、曲がることも出来ない生真面目さとストイックさを持っていて、ちょっと融通の効かないところもあるけど、彼のいう事なら皆が聞く信頼感を持ち合わせている。

 

そんな眞己と透真が、とある利害関係のもとでペアを組むことになるのだけど、弱小チームの中で類まれなる才能を発揮するがゆえのカタルシスというか、彼らの活躍するシーンがシンプルにめちゃくちゃカッコいい。



 

強豪校の一つである御崎学園との練習試合で、同学年でありながら実質的なエースの王寺アラシ(cv.寺島拓篤との対決では、序盤から中盤まではその実力に手も足も出せないものの、眞己の冷静な分析と作戦、それに応える柊真のパフォーマンス。ソフトテニスは二人でやるもんだろ?」という言葉を体現するがごとく、戦局をどんどん塗り替えていく。

 

 

W -星合の空-

W -星合の空-

  • provided courtesy of iTunes

(↑『星合の空』のメインテーマとも言える楽曲で、ピアノのスピード感溢れる進行にギターやドラムが負けじと競い合うアップテンポな一曲となっていて、これが眞己や柊真が逆転する時に流れてくるのがめちゃくちゃカッコいいんですよね……。)

 

 

 

その極地とも言えるのが、クライマックスで対戦する全国チャンピオンの五瀬(いつせ)兄弟との対決だ。王寺アラシとの対決とは比較にならないほどの戦力差で圧倒されてしまい、すぐに2セットを取られてしまう。しかし、一人で出来ないことも二人でなら叶えられるように、眞己と柊真のペアが足し算ではなく掛け算で成長していく。個人の戦力差は言わずもがなだし、ペアの実力も相手の方が断然上なのに、眞己と柊真のペアはテニスを楽しみながら試合をしている、今この瞬間を楽しむためにプレーをしているんですよね。その楽しさや興奮が試合を見守っている部員たちと同じように、視聴者にも伝わってくるのが本当に素晴らしい。

 

 

 

 

スポーツ系の作品にしては、丸っこいキャラデザと柔らかい絵柄が少し不釣り合いな印象も合ったのだけど、その柔らかさがソフトテニスにおける複雑なショットやコートを駆ける柔軟な動きにも絶妙にマッチしていたし、大人でも子供でもない中学生という半端な存在を絵的に表すという唯一無二さに納得させられた。

 

 

そしてソフトテニスという競技自体を知らなくても、充分に楽しめてしまうほど作り込まれた質感がとても魅力的だと思う。部活動中の雰囲気までもが手にとるように伝わってくるというか、自分が中学校の頃にソフトテニス部を見かけたときの情景が、昨日のことのように思い出されていく。試合中は大きな掛け声と手拍子で応援したり、体力づくりのために実はかなり走り込みを行っていること、ソフトテニスって実はかなり体育会系の競技だということに気付かされたりする。

 

 

また、その概要やルール説明に関しても、決して淡々と説明するのではなく、弱小チームが成長する過程の中で、自然に差し込まれたり描かれたりしていく。主人公が全くの未経験者なので、彼がソフトテニスを知っていく過程に、我々視聴者への説明も兼ねているところが、表現としてとてもスマートである。

 

この『星合の空』の制作スタッフが、ソフトテニスという競技に並々ならぬ思いを込めているのがよく分かるシーンがある。それは部長の柊真が眞己にサーブやショットの姿勢を指南するシーン。ラケットの方向や手の返し方に至るまでを理屈っぽく長台詞で説明し、そこを補完する形で緻密なアニメーションが彼らの足先から指のつま先までじっくりと描いていく。書き込みの量というか、説明した動きを再現するためにそこまで書き込むんだ……とその熱量に圧倒されてしまった。それは試合のシーンでも同じことが言えて、ボールを打ち合う度に切り替わる画面転換や、サーブを打つ一連の動作、コートを縦横無尽に駆け抜ける選手たちの躍動感、実際の試合が普段の練習といかに違うのかを示す緩急の付け方に目を奪われてしまった。

 

 

 

 

しかしながら、ここまで長々と語っておいてなのだけど、『星合の空』において、ソフトテニスはあくまで作品の軸に過ぎないと個人的には感じている。ではこの作品が本当に伝えたいメッセージとは何だったのだろう。そこを紐解いていけばこの作品の面白さにも繋がってくるのではないのだろうか。

 

 

『星合の空』は先ほど述べたように王道のスポーツアニメ作品ではある。それと同時に、男子部員たちが抱えている葛藤や心の悩み、それに向き合う彼らの心の機敏が描かれていく、とても繊細で丁寧なドラマ作品ともいえるのである。本作の主人公は転校生である眞己だけど、どのキャラに感情移入ができるかで、その捉え方も大きく変わってくる。というのも、ソフトテニス部の一人一人、そして彼らを取り巻く大人や同級生達にも、心の奥底で誰にも言えない悩みを抱えながら生きているからだ。幼い頃の育児放棄で外傷を抱えてしまったり、生みの親と育ての親が別人だという事実を受け入れられなかったり、毒親に自分の居場所を奪われてしまう者もいる。

 

 

男子ソフトテニス部の一人一人が背負う悩みとして、いささか重すぎる気はするのだけど、これは現代の日本が抱えている家庭的な問題でり、決して目を背けていい命題ではない。眞己のような境遇はそれが顕著に表されていて、暴力を振るう父親から逃げるために離婚をした母親と暮らし、日中働く母親の代わりに家事や料理を行って家を支えている。眞己の中学生っぽくない歳不相応な思考の根底には、こうした生活環境が根ざしていることにも納得させられる。

 

 

その反面、幸せそうに見える他のソフトテニス部員たちの家庭でも、悩みを抱えていたりする。片親同士の再婚で相手方の母親と上手くいっていなかったり、実の親から兄弟と比べられコンプレックスを抱えていたりする。柊真の家庭も一見するととても裕福で両親もいるしお金にも困っていない、眞己とはそういう意味でも正反対なのだけど、母親は兄のことは溺愛するが柊真のことを心底憎んでいる。血の繋がった親子だからといって、そこに愛情が必ず付いてくるわけではない。



 

自分たちの身近にもそうした家庭環境の中で育った人や、今まさにその状況下にいる人だっていると思うし、わざわざ言わないだけで、決して他人事ではない。自分のすぐ隣で、眞己や柊真のような境遇の友人がいるかもしれない。ここまで彼らに過酷な運命を背負わせてまで、上にも述べた『星合の空』が本当に伝えたいメッセージとは何だったのか。その答えは第8話のあるシーンに込められていると自分は感じている。

 

 

 

 

男子ソフトテニス部には飛鳥悠汰(あすか ゆうた)(cv.山谷祥生)というマネージャーがいる。彼にはある悩みがあって、それは自分の性自認が分からないということ。男性か女性かという限定的な枠に対する違和感というか、戸籍上は男でもどこか得体の知れない居心地の悪さに疎外感を感じている。LGBTという性的少数者の方を指し示す言葉があるように、悠汰もまた”Xジェンダー”と呼ばれる男性にも女性にも属さない性自認の立場にいることを自覚する。世間でいう「普通」とは相容れないことへ悩む悠汰に、眞己はこんな言葉をかける。

 

 

「自分にはない心の痛みは分からないさ。でもその痛みを想像してみることは出来ると思う。無理に理解しようとしないで、想像し合えば良いだけなんだと思うんだ。」

 

 

“理解するのではなく想像する”。劇中の男子ソフトテニス部の部員であったり、私たちのような視聴者にも同じことが言えると思っていて、学校や会社でいつも接する人の中には、人間的に合う人もいれば合わない人もいる。しかし自分のすぐ隣りにいる人は、見えないところで大変な思いをしているのかもしれない。お互いがお互いを想像し合うことが出来れば、苦しい思いをしたり、悲しい出来事が起きることも、少なくすることは出来る。理解が出来ないから想像するし、想像するから相手を思いやることが出来る。

 

 

独善的なプレーでは絶対に勝てず、一緒に試合をする相棒と互いを支えあって成り立つソフトテニスという題材に、とてもマッチしたメッセージだと思う。だからこそ、部活を通じて変わっていった男子ソフトテニス部の皆が、自分の抱える悩みや家庭内の不和にどう立ち向かっていくのか、どう答えを出して乗り越えていくのかを、心から見守りたいと思わされた。

 

 

 

籠の中の僕らは

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だけど、この『星合の空』の感想についてはこれ以上書くことが出来ない。単純に言葉が出てこなかったり、つまらなさ過ぎて書く気が起こらない訳ではない。なぜならば、この『星合の空』という作品はまだ完結しておらず、続きとなるエピソードの放映時期も未定だからだ。

 

 

 

 

akiba-souken.com

 

 

『星合の空』がなぜ12話になってしまったか、その全貌が監督の赤根和樹によって赤裸々に語られている。どういった経緯かまでは伏せられているが、重要なのは『星合の空』がもともと全24話予定だったにもかかわらず、本放送前に1クール分しか放送できなくなったため、構成の変更を迫られたこと。しかし、ここで赤根監督は悩みに悩んだ結果、構成は24話のままとし、そのうちの全12話を世に送り出した。脚本は全て赤根監督が執筆し、その残り12話分の原稿も仕上がっている。物語は完結しているはずなのに、その先が描かれていない幻の状態なのだ。

 

 

私は普段からこうした作品の裏側に対しては、あまり興味を持たないようにしている。その理由としては、裏側を知ってしまうと制作側に”情”が移り、その作品を公平に判断するのが難しくなってしまうからだ。これが自分にハマってとても面白い作品であれば、その裏側を知ることで「面白かった」という評価を、さらに底上げすることが出来る。しかしながら自分に合わない・苦手だったと分類される作品において、その制作過程が難航したり様々なハードルを課せられた上でのクオリティ、制作側も不本意だったことが語られるのを見てしまうと、自分の下す「つまらなかった」という基準が一気にぐらついてしまう。

 

 

しかし、どうしても耐えきれなくなって、どうしようもない気持ちが抑えきれずに読んでしまった。その上であらためて思うのが、この判断は果たして正しかったのだろうか・・・ということ。様々な意見があると思う。アニメ制作もビジネスの一つであり、多くの人と予算が流れていく。理想と現実のバランスや折り合いをつけるために、制作したかった期間や話数が削られざるを得ないことも、多分にあることが想像される。その決められた制約の中でハードルをいかに越えていくか、弱点すら強みに変えることが出来るか、真に問われているのはそこなのかもしれない。

 

 

しかし、自分の精魂込めて作った作品が我が子のように大切で、そう簡単に諦めることが出来ない気持ちも分かる。もともとの放送予定を半分に打ち切られて、「ハイ分かりました。」と大人しく引き下がれるだろうか。伝えたいメッセージ、描きたいシーンを泣く泣く削って、様々な都合に忖度されて仕上がった作品に価値はあるのだろうか。浴びせられる批判や厳しい言葉も覚悟の上で、あえてそのまま放送したことに対しては一つの覚悟を感じさせられる。

 

 

ただ一方で、本放送中に制作側は完結しないことをもちろん知っていた。しかし視聴者はそんなことを知らないわけで、純粋に毎週の放送を楽しみにしていた。うまく言えないんだけど、ここに少し無責任さを感じてしまう・・・というのが正直な本音で、放送終了後に赤根監督はこのようなツイートを投稿している。

 

 

 

 

これを見た熱心なファンは円盤や資料集などを購入して、少しでも応援しようとするだろう。こうした作品に対する情を焚き付けて、いろんなグッズの購買意欲を高めているようにも思えてしまうんだよなあ・・・と。ファンの人達にとっては、自分たちの行動が続編の制作に繋がるための藁にもすがる思いだったに違いない。しかし、放送から2年経った現在に至るまで、その続報は流れてこない。これもまた”大人の事情”というやつで、皮肉にも劇中で眞己や透真が受けた理不尽な扱いにオーバーラップしてしまう。

 

やるせない、やるせなさすぎる。



 

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最後の方は少しばかり呪詛めいたものになってしまったが、自分としては『星合の空』の続編をとても待ち遠しく思っている。出来るのであれば制作してもらいたい。確かにあの12話のクライマックスはあまりにも苦しくなるラストだったけど、男子ソフトテニス部員の抱える問題を解決できる兆しが、劇中に散りばめられていたし、それらが2クール目に収束して彼らの部活動の青春とマッチしたドラマになるであろうことが充分に予想されるし、一人の視聴者である自分もそれが見たい。一気見した自分ですらこんな思いを抱えていたのに、本放送から2年経った今でも続編を願っているファンの方の気持ちは尋常ではないだろう。放送媒体を変えるなり、配信限定でもOVAでもいいと思うので、なんとかして『星合の空』の続編が制作される未来に、連れて行ってほしい・・・。





“何ごとも 変はりはてぬる 世の中に ちぎりたがはぬ 星合の空”

 

ーすべてが変わり果てた世の中でも、七夕の牽牛と織姫の逢瀬の約束は違うことはないでしょう

 

建礼門院右京大夫集」より