本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

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感想『機動戦士ガンダム00』2ndシーズン。描ききった戦争と平和、「00」にしか成し得ない圧倒的終結に完敗。

 

Twitter繋がりの友人に薦められ、人生で初めて触れたガンダムシリーズの『機動戦士ガンダム00』(以下:00)。まさかここまでどっぷり浸かる自分に出会えるとは思わなかった。20代も後半に差し掛かってくると、ある程度自分の価値観や好みの傾向が定まってしまうので、こうした新しい作品への出会いが極端に少なくなってしまう。にもかかわらず、日夜『00』のことばかりが頭の中をよぎり、考えずにはいられなくなってしまった。

 

 

(1stシーズンの感想はこちら。)

 

だからこそ、2ndシーズンの物語を見届けねばならなかったし、自分の眼で確かめなければならなかった。全世界を相手に戦ったガンダムマイスターの4人、決死の覚悟で挑んだソレスタルビーイング(以下:CB)のメンバー達、そんな彼らが命を賭けて戦ったこの世界はどういう運命を辿ったのか。刹那・F・セイエイ(演:宮野真守)、アレルヤ・ハプティズム(演:吉野裕行)、ティエリア・アーデ(演:神谷浩史)はどうなってしまったのか。

 

 

 

 

 

 

 

これが『機動戦士ガンダム00』だったのか……。

 

 

 

 

圧巻……。



 

 

儚くも永久のカナシ

儚くも永久のカナシ

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1stシーズンが残した『00』の物語に対する壮大なクリフハンガーは、2ndシーズンの第1話でそのほとんどが回収される。開幕として突きつけるには、あまりにも辛い事実に、胸が苦しくなってしまった……。CBと世界連合軍との戦いから5年後、各国家は"地球連邦"という国家群を形成し、ようやく一つになり始めたものの、その裏では独立治安維持部隊『アロウズ』が組織され、治安維持とは名ばかりの反政府的な思想に対する弾圧と虐殺が日夜行われていた。

 

 

CBの武力介入で、奇しくもまとまりつつあった世界は、最悪の形で一つになってしまった。人間は過ちを繰り返すという言葉のとおり、共通敵が生まれたところでそう簡単に一つにはなれないし、独善的なエゴを更に強く振りかざすための手段さえ生み出してしまう。まさに世界の歪みを体現しているとはこのことだったのだ、と。

 

 

そして唯一の一般人でありながら、1stシーズンの後半から『00』という物語のうねりに巻き込まれてしまった沙慈・クロスロード(演:入野自由)。その彼がついに刹那と戦場で再会し、彼の正体を知ることでソレスタルビーイングと大きく関わっていくことになる。そして彼の恋人であり、戦争の犠牲者でもあるルイス・ハレヴィ(演:斎藤千和)がガンダムへの復讐心から軍人となってしまう。その彼女を救い出すために、これまで端役でしかなかった彼が活躍するという意味では、沙慈・クロスロードは『00』における”もう一人の主人公”を担っていくことになる。

 

 

 

特にこの2ndシーズンにおける第1話、そして第2話と第3話までのエピソードは、まるでジェットコースターのように様々な展開の応酬が続く。旧時代の遺物とかしてしまった刹那とガンダムエクシアが敵モビルスーツに蹂躙されてしまい、その刹那を救うべく最新のガンダムに搭乗して駆けつけたティエリア。命を落としたロックオンと瓜二つの弟であるライル・ディランディ(演:三木眞一郎)との出会い、そして捕虜になってしまったアレルヤを救うべく展開される救出作戦。ソレスタルビーイングが逆境に立たされて始まるのはまさに1stシーズンとは真逆の始まり方だし、組織としての対立構造が反転したからこその、目が離せない幕引きと2ndシーズンの導入として、これ以上にないロケットスタートだったな、と。



特に第2話、刹那の搭乗するモビルスーツエクシアからダブルオーガンダムへと生まれ変わるこのエピソードに、どれほど強く拳を握っただろう。エクシアが成す術もなく散ってしまったカタルシスが爆発するかのように、ダブルオーガンダムの出撃から敵モビルスーツを一掃する戦闘シーンのカッコ良さもさることながら、ここで刹那の発する「これが…俺たちの…ガンダムだ!!」というセリフ、もう最終回なのか…!?と錯覚するほどの盛り上がりが最高すぎた……。



刹那にダブルオーガンダムが与えられたように、当然のことながら他のガンダムマイスター達の搭乗するモビルスーツも全て新造されている。ティエリアには砲撃型により特化し重武装されたセラヴィーガンダム、先代の正統後継機としてロックオンに与えられたのがケルディムガンダム、防衛機能を廃し攻撃と機動性を重視したのがアレルヤの駆るアリオスガンダム、それぞれが前機体を基本とし、各々の能力に応じてさらに発展させたモビルスーツになっている。

 

 

 



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全体の構成を振り返ってみると、『00』1stシーズンと2ndシーズンでその作りが全く違うことに気付かされる。1stシーズンはスロースターターながらも、世界観と各陣営の動きを丁寧に描写することで、物語のパズルピースをじっくりはめ込み、全ての要素がクライマックスに向けて集約されていく。それに対して、2ndシーズンは物語の全体的な総括を含めたストーリーテリング、散りばめられた伏線の回収、ゆえに内容がギュッと詰め込まれた章展開が明確となり、単発的な盛り上がりが多くなった。



『00』という物語に課せられたものを考えると、単純な比較は決して出来ないのだけれど、個人的には1stシーズンの方が好みだったりする。ロジカルに燃えるかエモーショナルに燃えるか、そこの違いだと思っていて、物語の設定であったり各キャラクターの関係性による積み重ね、色んなドラマが縦にも横にも重なり合っていく緻密さが好きだったんだなあ、と。



1stシーズンはCBという存在が世界そのものに影響を与え、それが動くことでどう転ぶか分からない世界情勢の中、必死にもがく敵も味方も含めたキャラクターの生き様がドラマに昇華されていった。

 

しかし2ndシーズンでは、世界の対立構図が明確になっていった分、物語の舞台でストーリーを転がすというよりも、キャラ個人にフォーカスを当てていく、人と人の関わりでドラマが進んでいくようになった。その結果として、「戦争と平和」という作品全体で掲げていた物語のテーマに対し、より踏み込んだ作劇が展開されるようになった。

 

 

『00』という作品のことを考えるなら、世界から人へ、マクロからミクロな視点へ向かっていくことは、納得のいく帰結だと思っている。そして、その軸に沿ってドラマが展開されるのは、やはり主人公である刹那とマリナ・イスマイール(演:恒松あゆみ)、沙慈とルイス、この両者なのだ。

 

 

 

 

世界平和という同じ目的を持っているはずの刹那とマリナは、第4話が決定的だったように、決して同じ手を取ることが出来ない。戦いでしか悲しみの連鎖は止められない刹那、戦わずして平和への道を探そうとするマリナ。自己犠牲の精神に近い覚悟を持って、世界中の悲しみを一手に引き受けてでも戦争根絶を成し遂げようとする刹那に対して、対話の実現による平和を願い、「あなたの幸せはどこにあるの?」と戦争根絶が叶った果ての先にいる彼自身を救いたいマリナ。刹那もマリナも互いの気持ちを充分すぎるほどに分かっているし、だからこそ二人の道は決して交わらず、並行したまま、世界平和という願いに向けて続いている。



そして沙慈はCBに関わっていくことで、戦争の傍観者から当事者へ、その中心に誘われていくことで、後戻りができなくなってしまう。彼は一貫して誰かの命を奪うための戦いに身を投じることを、頑なに拒み続けてきた。しかし不意にとった身勝手な行動が原因で、反政府組織「カタロン」の活動拠点が大打撃を受けてしまい、間接的に自身が加害者となってしまう。

 

ルイスをこの手で救いたい、でもこれ以上誰かの血が流れるのを見たくない。このジレンマを常に抱えながら葛藤する沙慈とは対照的に、ただ両親の仇を取ることだけを考えて戦場に赴くルイスの変容ぶりがどれほどショックだったか……。彼女自身が自分の人生に絶望せず、生き続けてくれたことには安心するんだけど、その生きる力を支えていたのは憎しみと復讐心であり、被害者であった彼女が今度は軍人になるというのも、戦争の生むカルマであり、終わらない悲しみの連鎖を象徴しているのだろうな、と。

 

 

Prototype

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作中きっての謎めいたキャラクターであり、CBでも唯一その過去が語られなかったティエリアの正体が判明するのが、2ndシーズンにおける見どころの一つになっている。というのもティエリアの存在、彼自身の正体を語ることが、物語の根幹へ触れることに繋がっていき、「アロウズ」を裏で操っていた黒幕のリボンズ・アルマーク(演:蒼月昇)へと通じていく。



そこも重要なのだけど、2ndシーズンでのティエリアの活躍には、常にニヤニヤさせられてしまった。一度は壊滅的な状態だったCBの復興に尽力したり、刹那を含め散り散りになったガンダムマイスターを招集するの彼なのだ。アレルヤを救出した際に投げかける言葉も、昔の彼であれば「マイスターとして相応しくない。」という冷徹な言葉を浴びせただろう。しかし、ティエリアらしい優しさを込めた言葉を掛けるまでに成長したのだな、と。

 

ここまで彼が変わった一番の理由には、やはり先代のロックオン・ストラトス=ニール・ディランディ(演:三木眞一郎)の存在が今でも心の中で生き続けていることがある。ニールが示した仲間を想う気持ち、彼の死を契機として芽生えた自分には何ができるのかという責任感。仇であるアリー・アル・サーシェス(演:藤原啓治)と遭遇した時に、普段の冷静さを忘れて激昂する人間味も持ち合わせるようになった。ニールの意志を継いだからこそ、今のティエリアが在るという点でグッとこないわけがない。

 

 

 

 

 

ニールの存在が大きすぎたゆえに、その後継者として登場したライル・ディランディというキャラをどう受け止めれば良かったのか、視聴しながら迷い続けてしまった。

 

 

正直なところ、ライル・ディランディという男が大嫌いだった。

 

 

 

 

双子の弟なので容姿は兄のニールと瓜二つでありながら、ライルの性格はその真逆。喋る言葉も軽々しいし、説得力も重みも感じない。「狙い撃つぜ!」という言葉をただ真似ただけの行為にも怒り心頭になりそうなくらいで……。情に厚いというよりも、現実的で何事も割り切る性格から、CBの面々とも深く関わろうともしない。ニール・ディランディが大好きだった自分にとって、このライルの行動がその全ての地雷をぶち抜いていく感覚だったんですよね……。



ただ、それで終わらないのが『00』の偉いところで、ライルという男の内に秘めるものが顕現するのは、やはり第5話だと思っている。徹底的に虐殺を行うべくオートマトンを送り込んで、「カタロン」の兵士も一般人も無差別に命を奪っていくやり方に、ライルが激昂する。このシーンがあったから、表向きでは飄々とした陽キャラみたいに振る舞っていても、心の奥ではテロで家族を奪われた自身の境遇と重ねつつ、世界平和を願い、戦争を根絶する意志を持ってCBに入ったことが伝わってくる。ここでやっとライル・ディランディを受け入れ始めることができたかな、と。

 

 

 

 

 

そして第13話の「メメントモリ」攻略作戦では、1stシーズンでは叶わなかったティエリアとロックオンの共闘、つまりセラヴィーとケルディムの共同前線が繰り広げられる。衛星兵器という超弩級のメカを相手に、プトレマイオスを使ったCBの決死の作戦、使用限界を鑑みながら切られていくトランザムという切り札、そしてギリギリの攻防戦の末にトドメを指すのがライルの操るケルディムガンダムの放った一撃だった。この時に彼が言う「その名の通り、狙い撃つぜ!」は、自分が兄の後継者としてだけでなく、"成層圏まで狙い撃つ"というコードネームに込められた意味を真に理解し、CBの一員として放った一撃だからこそ、最高に燃えるんだよな、と。

 

 

 



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泪のムコウ

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先にも述べたように、2ndシーズンは『00』という物語に散りばめられた伏線を回収し、各キャラクターに結末を与え、物語を全て締めくくらなければならない。次のシーズンへ投げることが許されないというプレッシャーを、そこに抱え込んでいるのも事実であり、対立の構図もvsアロウズから、徐々にvsイノベイドへと置き換わっていき、後半部ではいよいよ『00』という物語の終結に向かっていく。その中で重要な役目を担うのは、前半部のクライマックスから登場したダブルオーガンダムの進化機体、ダブルオーライザーだ。



 

 

 

 

刹那の操るダブルオーガンダムに、支援機オーライザーがドッキングすることで、戦闘能力が格段に上昇したのが、ダブルオーライザー。このオーライザーに搭乗するのがまさかの沙慈で、因果の巡りを感じさせると共に、ついに刹那と一緒に戦う動機づけとして、これ以上にない機体なんですよね。

 

 

そしてダブルオーライザーといえば外せないのが、最高の演出の中で流れてくる「TRANS-AM RAISER」という楽曲。劇伴を務めた川井憲次氏のサウンドの中でもこの曲は一味違っていて、聴いたら誰もが忘れることの出来ない一曲になっている。



最初に使用されたのが第17話、ダブルオーライザーが衛星兵器「メメントモリ」2基目の駆逐ミッションを任されている時。その行く手を阻むイノベイドの猛攻、窮地に追い込まれる刹那と沙慈。電撃に苦しみながらも刹那の掛け声とともに発動したトランザムライザー、そして放たれるライザーソード、この形勢が一発で逆転するカタルシス、そこに合わせて川井サウンドお馴染みのストリングス音と重厚な演奏がスピーディに駆け抜けていく。

 

 

TRANS-AM RAISER

TRANS-AM RAISER

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1stシーズンで印象的だった劇伴「FIGHT」が静かに燃え上がる青い炎のような盛り上がりを魅せるとすれば、「TRANS-AM RAISER」はその疾走感と爆発力をもって真っ赤に燃え盛るような楽曲だと思う。ここで繰り出されるライザーソードが、射程距離の長い砲撃のように見えて実はビームサーベルであり、衛星兵器を文字通りぶった切ろうとするのも、無茶苦茶なんだけどあらゆるロマンが詰め込まれているので好きになるしかない……。



ただ、ダブルオーライザーが登場した功罪として避けられないのが、あまりにも強すぎたということ。機動力とスペックが他機体の追随を許さないのはもちろん、自分自身を量子化させるというケタ違いの性能を持つがゆえに、ガンダムの名すら冠さない別次元の存在なので、作中最強と言っても過言ではない実力を持つ。なので、ダブルオーライザーが戦場に出ると互角に渡り合える敵もいないし、一体だけで戦局をひっくり返せてしまう。その兼ね合いから戦闘シーンはあっさりとダイジェストのように処理されてしまうし、他のモビルスーツの出番も極端に減ってしまい、どうにもお預けばかりの消化不良な展開が続いてしまう。



良し悪しはありつつも、その超然的な強さでダブルオーライザーが物語を牽引していくように、刹那もまた『00』という物語の主人公としてのアイデンティティが、加速度的に増していく。戦いの最中に人類を導く純粋種のイノベイターへと覚醒しつつある刹那、そしてイノベイドの自分より劣った人類を支配し、刹那を倒すことで自己の優位性を示そうとするリボンズ。刹那にとっては人生の転機となる出会いを果たした0ガンダム、それに搭乗していたのはリボンズ・アルマークだったという衝撃の事実。ここにいわゆる”神殺し"の物語が生まれたのと同時に、前時代の象徴を越えていき、新たな象徴を自らが生み出す、という文脈も感じられる。ここで刹那が事実を知っても、まるでブレないのが逆に良かったなあ、と。

 

 

 



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しかしながら、刹那とリボンズのドラマが、「戦争と平和」というテーマに集約していく弊害として、他のキャラクターへの描写に偏りが生まれてしまい、しわ寄せをくらったキャラもいるのが非常に惜しい、本当に惜しいところだな……と。

 

それを思いっきりくらってしまったのが、アレルヤ・ハプティズムとライル・ディランディ、そしてグラハム・エーカー(演:中村悠一)の三人。これはモビルスーツにも同じことが言えると思っていて、その性能について語られたり描かれるのがダブルオーガンダムとセラヴィーのみで、ケルディムとアリオスは機体性能としてどう変わったのか、ほとんど説明がなかったことにも現れているのかな、と。彼らが中心となるドラマ展開は、どれも『00』の掲げる「戦争と平和」のテーマに対して、微妙にズレてしまう感覚があって、各々のドラマが枝葉となって伸びているのではなく、全く別の軸で成り立っているのではないか、と。この三人のドラマの軸、それこそ"愛"なのではないかな、と。

 

 

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アレルヤとマリー・パーファシー(演:小笠原亜里沙)がついに再会を果たし、真相が語られてやっと気持ちが通じ合うという展開が、序盤で解決される。確かにこれを先延ばしにしなかったのは良かったんだけど、今度はアレルヤの出番がこれ以降まるっきり無くなってしまう。

 

脳量子波が使えないアレルヤパイロットとしてあまり戦力にならなかったという裏事情を聞くと、アリオスガンダムの活躍が少ないことや、戦場には極力出させてもらえず、避難民の輸送艦の護衛を任されたりしていたことにも納得がいく。納得はいくけど劇中で説明なり補完もされないし、別人格のハレルヤがなかなか出てこないことも含めて、やっぱり残念だなあ……と。

 

 

 

 

 

ライルについては、彼がCBの一員となる前半部までのドラマは楽しんだのだけど、後半にかけて登場したアニュー・リターナー(演:白石涼子)との関係については、どうにも描写不足だったな……という感覚が拭えない。お互いにCBへの加入が途中からだったという共通点、会話の中でお互いにしか通じ合えない何かを感じ取っていることは明らかなんだけど、その惹かれ合う過程という余白を察するには、余りあるのではないか…と。あれが大人の恋愛なんだよ!と言われたらそれまでなんだけど……。ここの積み重ねなり、余白をもっと想像させてくれる演出やシーンがあれば、アニューとの離別シーンにもっと感情移入が出来たのかな……と。



 

 

 

 

そして割りを食った究極の存在が、ミスター・ブシドーことグラハム・エーカー。いやもうなんなんですかね、ミスター・ブシドーって……。ドラマのしわ寄せ100%濃縮還元原液煮こごり、みたいなこのキャラ。彼のドラマを「愛」と表現したのは、刹那もといガンダムへの狂信的な感情からなのだけど、追い求めた先に愛を超えて愛憎へ変わり、どんな手段を用いても刹那とガンダムを討とうとするグラハムに変貌してしまったからだ。この変貌ぶりは理解できるんだけど、軍人としての誇りすら捨てて、目的遂行のためなら手段を選ばない彼の姿を受け入れることは出来なかったかな……と。このキャラクター性の中にどこか好きになれる部分があれば良いのだが、それすら微塵も感じられない。ミスター・ブシドー、地獄ですよ。

 

 

 

 

 

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このように各キャラのドラマパートに対して所々に惜しさも感じたのだけれど、本編も残り数話となった第22話からアロウズとの全面戦争へ突入していく。「カタロン」の加勢、カティ・マネキン(演:高山みなみ)率いる連邦軍の反乱、そして「ヴェーダ」奪還のため本陣へ乗り込むCB、イノベイド達の強襲にCB全員が立ち向かう決死の攻防、ここから最終回までノンストップで駆け抜けていく。かろうじてアニメの体裁を保っているだけで、ここまでを一本のエピソードとして数えてもいいくらいに密度の濃いシーンの応酬なのだ。本放送時にこそ最終回まであと数話の中でどう物語が完結していくかのライブ感を味わいたかったな、と。



だけれども、ニールの命を奪ったサーシェスとライルがついに直接対峙をする場面が出てきても、アレルヤとマリーがイノベイドの軍勢にギリギリの弾幕で戦っていても、ティエリアがついにヴェーダの中心へと乗り込みデータを奪おうとしても、沙慈がついにルイスと再会し必死の説得と救出を試みても、どこか冷静に見ながら気持ちがいまいち乗り切れていない自分がいた。この時点でもう既に第24話のAパートにさしかかっていて、残りたったの1話と半分しかない。どうやっても尺不足で終わるだろう…と思っていたし、この微妙な感じで最終話まで見終えるのだろうか…と覚悟していた。



 

 

しかし自分がまだ何も分かっていなかっただけで、『00』2ndシーズンの真価が発揮されるのは、この第24話のクライマックスと最終話の第25話だったのだ。その圧倒的すぎる展開に打ちひしがれ、ただ受け入れるしかなく、これ以上の”答え”はもう出ないだろうとする着地点が本当に凄まじかった。最後の最後で大逆転のウルトラCを決められてしまった。



 

 

 

 

世界を変えるために、戦争の根絶という理想を叶えるために、変わろうとし続けた刹那。その願いへ応えるかように、刹那が真のイノベイターとして覚醒する。そして発動されるのがダブルオーライザーの真骨頂とも言えるトランザムバースト。GN粒子で戦場にいる人々の意識を脳量子波でリンクさせ、その意識同士を感応させ異次元の対話を可能とするこの力は、ぶっちゃけデウス・エクス・マキナだと思っていて、意地悪な言い方をすれば物語を上手くまとめるテコ入れとも言えてしまうし、あまりにも都合が良すぎてしまう。



しかし、最終決戦へ近づくに連れて人を超えていく刹那の超然性が発揮されるという理には叶った展開に、あわや全滅するしかない圧倒的な劣勢の状況、そこで発動された虹色に輝くGN粒子、その中心にいるダブルオーライザーという宗教画のような神々しさで叩きつける「画」、そして見事に畳まれていく各キャラのドラマ、アレルヤとマリー、アンドレイ、スメラギとビリー、沙慈とルイス、CBのクルー達、ロックオンとサーシェス、その全てに答えを出していく。考える暇なんて与えないこちらの予想を軽々と超えてくる展開、これを見せられてしまっては、もう負けを認めるしかなかった……。凄すぎた……完敗だ……。



 

超兵へ改造され人並みの幸せも得られなかったアレルヤがついにマリーを真の意味で救い出し、家族の命を奪ったテロの首謀者をその手で討ち取ったロックオンはCBのガンダムマイスターとなる決意を固める。『00』の掲げた「戦争と平和」という軸に沿って、自身の運命と宿命に決着をつけるこの二人の姿に、目頭が熱くならないわけがない。その上で最終話の第25話、刹那のピンチにアリオスガンダムケルディムガンダムとして駆けつける。そこでまた「TRANS-AM RAISER」が流れる。もうここが大好きすぎて何度見返したか分からない……。

 

 

 

 

 

この怒涛の展開が畳み掛けてくる中でも、最後は刹那とリボンズとの決戦へ集約されていく。このクライマックスは刹那がガンダムによって成し得る戦争根絶が、決して正しくはないことを示しているのだと思っている。武力による戦争根絶で得た平和は、結局誰かが流す血を礎にしなければならない、名も知らない人の命の上に立つ仮初のものなのだ、と。これもまた戦争を生む悲劇の輪廻でしか無い。その対比として、マリナが孤児の子どもたちと一緒に唄った「TOMORROW」が聞こえてくる。市井の人々へ自然とこの歌が広がったように、平和への願いを訴えるために銃は必ずしも必要がない、人間は分かり合うことが出来るという希望を抱かせてくれる。

 

エクシアと0ガンダムの初期機体同士が地に足をつけた一騎討ちと、そこへ流れてくる「TOMORROW」、1stシーズン終盤以上に盛り上がりアツくなる展開のはずが、どこか悲しくてやるせなくて苦しくなる。刹那とマリナの進む道が完全なる離別を果たし、交わらなくなったことを示すと考えれば、なんて壮絶なラストだったのだろう……と。

 

 

 

 

 

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昨今のトレンドを考えると、1stシーズンおよび2ndシーズンで計50話というのは、かなり話数も多い部類に入る作品だと思うのと同時に、その長さをあまり感じなかったほど、自分の想像以上にどっぷりと『機動戦士ガンダム00』という物語にハマることが出来たのは、本当に嬉しいことだったな、と。既にこの時点で10000字を越えてしまっているのだけど、ブログでここまで長く語ってしまったのも初めてだった。

 

しかしながら、『00』の物語には”劇場版”というものが存在するらしい。テレビ本編で完結した作品に与えられる劇場版とは、果たして必要なのだろうか。その後を描く後日譚は蛇足になるか、傑物となり得るのか。

 

 

どうやら『00』との戦いは、まだ終わらないみたいだ。



 

 

次回、LAST MISSION。

(劇場版の感想はこちら。)