本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

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感想『仮面ライダークウガ』EPISODE 13「不審」憂う青年の瞳が見つめる先に

 

 

 



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(↑第12話の感想はこちら)

 

 

これまでの12話分は、シリーズ構成も務める荒川稔久氏が脚本を全て執筆している。全話通して振り返ってみても、『クウガ』という物語において縦軸と横軸が絡み合い、一貫性を保ちながら駆け抜けることが出来たのは、荒川氏の絶妙な舵取りが大きかったのではないかと思っている。荒川氏以外の人が脚本を担当しても、ほぼほぼキャラの解釈違いも起きず、展開の運び方に違和感が起きなかったというのは、本当に凄いことなのである。(脚本家が変わると途端に空気感もキャラ解釈も微妙に変化する傾向にあるのは、近年の仮面ライダーシリーズが抱えている難しい課題点ともいえる。)

 

 

そんな中で今回の13話・14話は、初めて荒川稔久氏以外の脚本で展開されるエピソード。その脚本を担当したのが、井上敏樹氏だ。鳥人戦隊ジェットマン」「超光戦士シャンゼリオン」「仮面ライダーキバ」などなど数多くの特撮作品を手掛けており、今なお第一線で活躍されているレジェンド御大なのである。ちなみに「漫画版 仮面ライダークウガ」の脚本を担当しているのは、井上敏樹氏である。

 

 

自分にとっての井上脚本といえば、「仮面ライダー555」が真っ先に思い出される。実は『クウガ』の次にドハマリしたぐらいに好きなのが「ファイズ」なんですよね。3本のベルトを巡る複雑な人間ドラマ、怪人側の葛藤や思惑の絡み合い、強烈な個性を持つキャラクター達、そしてファイズが魅せる抜群にカッコいいアクションの数々。『クウガ』とはベクトルの違った作風だけど、男心をよりくすぐらせてくれたのは間違いなく「ファイズ」だった。

 

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(↑昨年の仮面ライダー50周年記念リバイバル上映で、「パラダイス・ロスト」を18年ぶりにスクリーンで鑑賞できたのは、言葉にならない感動でしたね。)

 

 

 

いつにもまして前置きが長くなってしまったけど、2クール目に突入した『クウガ』の物語をここから語っていこうと思う。



今回の二編は荒川氏の舵取りはあるものの、井上敏樹脚本特有の「クセ」が滲み出てしまっているのが面白いなあ、と。ドラマを動かすために井上脚本はキャラクターをグイグイ動かす傾向にあると感じていて、その中にコメディも入れつつ、シリアスな雰囲気を醸し出す緩急が面白い。例えば奈々ちゃん(水原詩生)が作ったクッキーを食べて「ほんまほんま!本間千代子!」というしょうもないギャグを披露するおやっさん(きたろう)の後に、全く同じ反応をする雄介オダギリジョーでギャグを重ねてくる描き方は荒川脚本にない「味」だなあ、と。研究室で古代文字を解析する桜子さん村田和美と何度もクッキーに手を伸ばす雄介の会話劇もこれに近い。

 

 

 

 

 

そんな一方で、杉田刑事松山鷹志が取り調べを行うシーンの張り詰めた空気感というか、これは石田監督の演出も大いにあると思うのだけど、普段は冷静な杉田さんがここまで感情を露わにすることで描かれる人間性も含むと考えれば、これもまたキャラクターの動きであるといえるのかな、と。



そういう意味では井上脚本の「クセ」を一手に引き受けるのが、今回のエピソードを引っ張っていく椿(大塚よしたか)である。高級な外車を乗り回し、常に色んな女性と遊びまくるプレイボーイにもかかわらず、職業は医者。めちゃくちゃ井上敏樹成分が濃い……濃すぎる……。

 

そんな彼は医者という立場にいるため、命の現場の最前線に立つ男である。こうした人間味のある濃いキャラクターが魅せる”漢”としての姿って、何物にも代え難いカッコよさがある。そこを描かせたら井上脚本の右に出るものはいないんだよな、と。

 

 



グロンギ側の勢力もここで一新され、ゲゲルの権利がズ集団からメ集団へと移行する。特にズの時からいたカメレオン種の怪人がメの集団へ昇格したシーンは、ゲゲルが何であるかを物語る意味ですごく重要なシーンでもある。完全に権利をなくし、昇格したカメレオン種の怪人に見下されるゴオマ(藤王みつる)の姿がなんとも哀れである。

 

また、本編で描かれている以外にも警察やクウガは常にグロンギと戦いを繰り広げているという証左でもあり、達成したゲゲルもあるということなのだ。防げていない殺戮もあると思うと、劇中の警察がどれほど悔しい思いをしているのか想像に難くない。



今回のグロンギはこれまでにも数回登場していたメ・ビラン・ギ(大橋寛展)、未確認生命体第23号である。ザインとクウガの戦闘に邪魔をしたのもこのグロンギだ。ピラニアの特性を持っており、鋭い牙と鋭利な歯で次々と人間の命を奪っていく。また、素早い動きで敵を翻弄し、水中での移動も得意としている。

 

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そんなビランの残忍さを示すのが、客船上から始まるゲゲルのシーンだ。操舵手の命を初めに奪い、運転席からゆっくりビランが現れる。乗客の絶叫が響き渡り、逃げ場のない船内では屋外のテラスへ向かうしかない。逃げ惑う人々の中には家族連れやカップル、老夫婦に子供までいる。一人また一人とビランの餌食となっていき、さっきまで響き渡っていた声すら聞こえなくなる船内の静寂がどれほど怖かったか。血の描写が強かったのもあり、これを朝の8時からよく流していたよなあ……と改めて感じる。

 

 

 

 

その光景を湖畔からただただ静観していたのは、蝶野潤一(内田大介)という青年。首筋にタトゥーを入れ、自らを未確認生命体であるかのように振る舞っていたが、実はただのフリーターだった。杉田さんの取り調べに臆する様子もなく、警察を挑発する物言いからはどこか自分の人生にうんざりしていることが伺える。

 

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「あんたも愚かな人間の仲間だな」

 

 

リアタイ当時、蝶野のような若者を見て「なんか怖いなあ…こうなりたくないなあ……」と思っていたんだけど、未来に希望が持てなかったり、自暴自棄になる気持ちというか、決して他人事ではないんですよね。『クウガ』が放映されていた2000年は、バブルの崩壊した90年代初頭からの「失われた10年」に該当する年代であり、長期不況や大手銀行の経営破綻、リストラの増加や新規雇用の減少など、経済活動が著しく滞っていた時期だったとのこと。

 

そして現在、コロナ渦の影響で経済が冷え込んでいることは言わずもがな、不景気が続き未だ先行きの見えない世の中で、何を頼りに生きていけばいいのか。手に職がなければ尚更のこと。20年前の作品なのにこうした形で関連付けることが出来るのは、クウガ』で描かれるテーマがいかに普遍的かをよく示しているんだよなあ、と。

 

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次のゲゲルとして川辺の作業場をビランが襲撃。船の上で釣りをしていた男性たちに襲いかかろうとした刹那、川に滴る血の匂いに誘われてターゲットを変更する。現場へ駆けつけた一条さんとトライチェイサーでビランに突撃する雄介。雄介はすかさずクウガに変身。マイティフォームのままで何とか応戦するも、ビランの素早い攻撃に少し押されてしまっている。

 

 

近接格闘で反撃を加えようとしたその時、クウガの脳裏に謎のビジョンが浮かび上がる。それは冒頭でジャン(セルシュ・ヴァシロフ)と実加ちゃん竹島由夏)が見つけた遺跡が立体化したような、クワガタに似たシルエットだったのだけど、この正体が分かるのはもう少し先の話。

 

 

 

 

次回、蝶野という青年に椿がどう向き合うのか。

 

 

それでは、次の更新で。