本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

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感想『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』主人公の「喪失」と大いなる「継承」、それでもワカンダは前に進み続けていく

 

 

 

 

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※この記事は『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』の内容に触れています。未見の方はご注意ください。

 

 

 

 


MCUのフェイズ4は、テーマの一つに「喪失」を抱えていた。父親との確執そして別れ、永遠だと思っていた友との絆、そして最愛の人との離別。愛憎に満ちた魔女は二度と戻らない無償の愛を求め、未熟だった少年は自らの存在を消すことで世界と多次元宇宙を救った。

 

アイアンマンは亡くなり、キャプテン・アメリカという象徴が欠けても、新たなヒーローが誕生し、物語は続いていく。進むために失われるものがあれば、新たに生まれてくるものもある。そして「喪失」を伴いながらも、物語を紡ぎ続けたフェイズ4の最終作で、MCUは大きな問題に直面する。

 

 

それは「主人公」の不在、ティ・チャラの「喪失」である。

 

 

 

 

2020年、チャドウィック・ボーズマンが急逝した。既に決定していた「ブラックパンサー」の続編への期待が高まる中での、あまりにも突然の訃報。報せを聞いた時にどれほど自分の耳を疑っただろう。全く信じられなかった。

 

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「虚構」は「現実」を越えることができる。どれだけ実現不可能なことも、語れなかった物語も、夢も、空想も、創作物の中でなら叶えることができる。我々がMCUに心惹かれるのは、こうした「虚構」を基にして語られるヒーローの物語が、強く胸を打ち希望を与えてくれるから。彼らの生き様が、私達の「現実」に光を与えてくれるからだ。

 

主演俳優の代役を立てて、作ればよかったのではないか。次作で演者が変わるなんてのは、界隈でよくあることだ。それ以上に主人公がいない物語を描くことの方が、問題ではないのか。しかし、出来なかった。否、しなかったと言うべきか。それは、ティ・チャラを演じたチャドウィック・ボーズマンが、あまりにも偉大だったからだ。

 

気高さと優雅さを兼ね備えた振る舞い、国王としての懐の大きさ、それを言葉で演じられても体現できる者は、そういない。サノス軍との戦いを前に陣頭で指揮を執るリーダーシップ、満身創痍のスティーブの前に現れた彼がむける暖かくて強い眼差しが、どれほど頼もしかっただろう。チャドウィックの演じるブラックパンサーが、もっと観たかった。あまりにも惜しい。そこに尽きてしまう。

 

 

 

 

 


しかし、この映画は「現実」を越えることが出来なかった。


どれだけ雄弁に描こうとも、輝く姿を映し出しても、主人公の死という悲惨な「現実」に、ただ打ちひしがれるのみだった。

 

 


ティ・チャラが病に倒れ、非業の死を遂げる。メインタイトルに差し掛かるまでのオープニングの間、ずっと涙が止まらなかった。拭っても拭っても、涙がこぼれてくる。なぜこんなにも辛いのだろうか。こんなにも悲しいのだろうか。何となく実感していなかったティ・チャラ=チャドウィック・ボーズマンの死という現実が、伝統に則った葬式のシーンによって、徐々に現実味を増してくる。受け入れなければならない現実を、我々に突きつけてくる。

 

つまり、この映画そのものが、まさに「国葬」とも言うべき様相を呈している。葬儀から一年が経過しても、登場人物の誰もが、ティ・チャラの死を受け入れることができていない。困惑、怒り、悲しみ、彼らの抱く複雑な感情がスクリーンを通して直に伝わってくる。自然の中に彼の面影を感じようとする母=ラモンダ、彼の死に向き合えず葬式に立ち会えなかった妻=ナキア、そして兄の死を振り返らず必死で前を向こうとする妹=シュリ。互いに慰め合おうとしても、彼の死で失われてしまった大きな喪失感が、決して埋まることはない。無慈悲にそして突然に降りかかる「死」の前では、信仰も、言葉も、何の意味を持たない。あまりにも無力なのだ。

 


ブラックパンサーはもういない。それでも、世界は回り続ける。ティ・チャラによって立てかけられた国交により、ワカンダは世界に開かれた。だからこそ、ヴィブラニウムという資源を求めて、各国が水面下で政治的な駆け引きと武力交渉を突きつけてくる。王の死を嘆く暇すら与えられず、状況だけが変化していく。あまりにも無常である。

 

そんなワカンダの前に現れたのが、海底の大国タロカン。地上への復讐に取り憑かれ、その苦しみを何百年も背負ってきたこの国は、世界を燃やしつくすという野望を秘めている。その意味で、タロカンはその未来を辿ったかもしれないもう一つのワカンダといえるだろう。タロカンの王ネイモアは、世界の脅威を説き、自らの国家を守るため共に戦おうと、ワカンダの王女であるシュリに持ちかける。

 

戦争とは、正義と正義のぶつかり合いである。ネイモアもまた被害者であり、彼の後ろにはタロカンの民がいる。その彼ら一人一人に暮らしがあって、家族がいる。搾取されてきた彼らが戦うのは、二度と奪われないため。


ワカンダとタロカン、二つの大国がなぜ戦争を始めてしまったのか。この戦争に至るまでの道程が、非常に丁寧に描かれているのである。まるで大きな火薬庫を抱えたような一触即発の緊張が、たった一発の銃弾で一気に決壊する。そして、弔い合戦という名目の戦いが始まってしまう。

 

 


ブラックパンサーという存在は血筋の系譜であり、「因縁」と「復讐」の輪廻に囚われたヒーローであると言える。ティ・チャラが初めてパンサーへ変身したのは、父親を目の前で殺された復讐を果たすため。しかし黒幕もまた復讐に囚われていたことを知り、その怨嗟を断ち切るために「赦す」決断をする。そして、キルモンガーという自分の鏡像が立ちはだかり、先祖がひた隠しにした負の遺産へ向き合うことで、彼は真の「国王」へと成長した。

 

 

 

 

 

 

そしてシュリもまた、同じ轍を通ることになる。頑なにパンサーへ変身することを拒んだ彼女が立ち上がるのは、殺された母親の復讐を果たすため。襲撃されたワカンダへの報復のため。彼女がハーブを口にして出逢ったのが、キルモンガーだったことが何よりの証左だろう。

 


ヒーロー映画の構造で考えた時に、シュリがブラックパンサーへ変身する決心を固めた時にカタルシスが爆発するのが定石である。ワカンダの守護神がついに復活し、空席だったその玉座に王女が座るのである。観客としても待ちわびた展開だ。しかし、全くヒロイックに描かれていない。むしろ彼女の目に宿る復讐の決意がより色濃くなり、「世界を燃やし尽くしたい」という野望に転じてしまいそうな危うさを生んでいるからだ。

 


MCUが常に目指してきた”大衆向けの娯楽”という側面は、比重としてかなり少なくなっている。暗く重たい雰囲気を背負ったまま物語は進んでいくし、それはクライマックスへ至った時にも変わらない。そうしたエンタメ性をかなぐり捨ててまで、シュリをブラックパンサーにそう簡単にさせてはいけないという覚悟すら感じる。それが、ティ・チャラの死に向き合った結果であり、どこまでも真摯に実直に描いた結果なのであれば、それは称賛に値するのではないだろうか。「虚構」が「現実」に圧倒的な大敗を喫したとしても、その受け入れきれない「現実」を抱えたとしても、私達は「虚構」を描き続けることを諦めない。前に進んでいこうとする決意だ。

 


その決意が、シュリにティ・チャラと同じ運命を辿らせて、反転させる。復讐の相手を赦し、戦争を終わらせる。そこで初めてシュリのオリジンが完結し、真の意味でブラックパンサーが誕生する。この時にあのメインテーマがついに流れる。ワカンダの再出発を祝うかのように、けたたましく鳴り響く。

 

 

全身が痺れた。まさに魂が震える瞬間だった。

この瞬間を描くための160分だったのだと。

 

United Nations / End Titles

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大きな喪失を伴った次世代への「継承」は、この映画をもって果たされる。そしてこれからもMCUという物語の枠組みは続いていくし、ワカンダという国は存続していくだろう。だからこそ、私達はティ・チャラに別れを告げなければならない。受け入れられなくてもいい、前を向けなくてもいい、少しずつ進んでいこう。そこに一縷の希望を託すシュリの涙と、視線の先にある暖かな陽の光が、この映画の夜が明けたことを知らせてくれる。そして少しずつ進んだ先に、きっと待っているものがあるはずだ。それを掴む時まで"ワカンダ・フォーエバー"という言葉は、心に留めておこう。

 

 


最後に。

 

あなたがティ・チャラを演じてくれて、本当に良かった。

 

チャドウィック・ボーズマン

どうか安らかに。

 

 

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