感想『バトル・ロワイアル』賛否を生んだ20世紀最後の問題作は、なぜ面白いのか。

 

ビートたけしは怖い人だ。”

幼少期の自分はテレビに彼が映る度にそんな恐怖感を常に抱いていた。そのため「世界まる見え!特捜部」のオープニングで毎回いじられる所ジョージがいつか本当に大怪我をするのではないかとヒヤヒヤしていたし、親の見ていた「TVタックル」で大人達の白熱する議論を傍から笑って眺めている姿が怖くて怖くて仕方がなかった。何故そこまで恐怖感を抱いていたのか、その理由はある映画の予告が鮮烈な記憶として焼き付いているからだ。

 

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「今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます。」

 

それは20世紀最後の問題作。
『バトル・ロワイアル』である。

 

 

「1クラス40人の中学生達が最後の一人になるまで殺し合う」という衝撃的な内容が話題を呼び、その原作小説に影響を受けたとされる少年犯罪が発生した背景から、映画公開の是非が国会で議論となるまでに発展した正真正銘の"問題作"。結果的にメディアがそれらを報道する事で逆に話題を呼び、興行収入31.1億円という大ヒットを記録。映倫の定めた基準により「R-15」が区分され、15歳以下の人つまり当時の中学生達は観ることが出来なかったが、翌年に「特別篇」として再び劇場公開。その後も何度かリバイバル上映が実施されていることからも、この作品にある種特別なカルト的な人気が生まれていることは分かっていただけると思う。

 

 

キャストを振り返ってみるとその豪華さに驚かされる。主演の藤原竜也を筆頭に、前田愛柴咲コウ塚本高史栗山千明高岡蒼甫山本太郎安藤政信など、日本のエンタメ界を牽引してきたであろう方々ばかり。そして監督を務めたのは、「仁義なき戦い」シリーズや「蒲田行進曲」などでお馴染みの巨匠、深作欣二監督。今作の続編を制作中に逝去されたため、実質的な遺作となった。

 

このたび公開から25周年のアニバーサリーを記念して、2週間限定のリバイバル上映が実施。兵庫県にある塚口サンサン劇場に赴き、念願の劇場初鑑賞を叶えることが出来た。あらためてキャストや制作陣に名だたる方々が連ねていても、題材があまりにも過激すぎる今作がなぜここまでヒットし長年愛されてきただろうか。

 

 

単純にその答えは一つ。

“抜群に面白い"からだ。

 

 

 

 

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多発する少年犯罪と失業率が悪化したことで、政府は子供への恐怖支配で大人の権威を復活させることを目的とした「新世紀教育改革法(通称:BR法)」を施行。年に一度、無作為に選ばれた中学生の1クラスが無人島に解き放たれ、最後の一人になるまで殺し合う。与えられる制限時間は3日間。一定時間が経つ事に出現する禁止エリア内に留まっていると、取り付けられた首輪が爆発する。3日間経っても勝者が決まらない場合、全員の首輪が自動的に爆発する。否が応でも殺らなければ死ぬ、つまりこのゲームに参加した時点で生徒たちに逃げ場は無いのだ。まさに地獄である。

 

確かにここまで倫理観の欠片もない世界が成立するのはフィクションすぎるのかもしれないが、昨今の世界情勢において無法な侵略行為や政策が国家間で押し通されているのを目の当たりにすると、あながち有り得ないと言い切ることが出来ないのは悲しいことである。

 

内容としての面白さは大いにあるとして、特にグッときているのが映画演出に非常にキレがあるということだ。そのエッセンスを凝縮しているのが、映画のオープニングである。あのアバンタイトルが出るまでの1分弱の映像は痺れるものがあり、世界観の導入として完璧というか「ああ、この世界はダメになったんだな」を示す説得力が桁違いなのだ。タイトルが出るあのオープニングは、間違いなく自分のオールタイム・ベストである。

 

レクイエム - 怒りの日

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そうしたキレのある演出は作品の随所に見られ、それが存分に発揮されているのがアクションシーンだろう。さすが名匠の深作欣二である。中学生が武器を持ち戦うということは初めて包丁を手にした子供のような危うさがあるし、生徒同士が対峙した時の決してスタイリッシュとはいえない泥臭くて鬼気迫る命(タマ)の獲り合いは、氏の過去作の経験値から導き出された緊迫感の賜物だろう。

 

 

しかし他方で泥仕合ばかりに収まるのではなく、川田省吾(演:山本太郎)や桐山和雄(演:安藤政信)のような手練が見せ場となるアクションは画の決まり方が素晴らしい。中盤の廃れた診療所での格闘シーンは緊張感と迫力が見事に同居しており、川田と桐山の”経験者”同士にしか出せない一進一退の攻防もハラハラさせられる。クライマックスの最終決戦で燃え盛る炎をバックに一騎討ちへ臨む両者がたまらない。

 

この物語の主人公はあくまでも七原秋也(演:藤原竜也)と中川典子(演:前田愛視点で進んでいくが、一人一人に人生があり生き残るために命を懸けてプログラムに参加しているという意味では、クラスメイト全員が主人公であると言えるだろう。島からの脱出を試みる者、ゲームに絶望し自ら命を絶つ者、このゲームに乗る者。それぞれが選択したドラマが鮮烈に描かれていく。

 

1クラス40人のため登場人物がどうしても多くなってしまう。そのため一人一人を丁寧に掘り下げていくことは、映画の尺として不可能だ。しかし振り返ってみると、名前は思い出せなくてもどんな生徒がいたのかを思い出すことは、案外簡単に出来てしまう。

 

その理由は各生徒の死に方に個性が出ているからだ。どう死ぬかで個性を出すなんてあまりにも不謹慎だが、こんな映画だからこそ許されるし演出として英断だったと思う。死に方の描き分けにより、その前後でどんな事があったのか観客に想像させ、余白を埋める。そのおかげで自然と印象に残る作りになっているのだ。


自分が特に気に入っている、まさしくこれが『バトル・ロワイアル』だと思っているシーンがある。それは中盤で描かれる灯台に籠城している女子グループのシーンだ。ケガをして傷ついた七原を生徒会長率いる女子グループが看病していたのだが、そのうちの女子一人が恐怖心から七原の料理に毒を盛って殺害しようとするも、誤って別の女子がそれを食べてしまい血を吐きながら死んでしまう。これをきっかけに、保たれていた「信頼」「疑念」「恐怖」が全て爆発して、怒号と叫び声が飛び交う。そして緊張が最大限まで高まった時、銃口が互いに向けられて壮絶な撃ち合いが始まり、たちまち辺りは血の海に。

 

 

このシーンに限らず映画全体として若手俳優が演じるがゆえの仰々しい演技は正直目立つのだが、その荒っぽさがかえっていつ死ぬかも分からない極限状況を引き立たせているのが上手いなと思う。たった数秒で友達が敵同士に変わってしまう変貌っぷりは何度観てもヒヤヒヤさせられる。

 

とは言いつつも、主要キャラの存在感に関しては他とは違う魅力を放っていたなと思う。仲間と共に爆弾を作り島からの脱出を試みる天才ハッカーの三村(演:塚本高史)、想い人を探しながら七原の窮地を救う杉村(演:高岡蒼佑、あらゆる手段を使ってプログラムを生き抜こうとする不良の相馬(演:柴咲コウなどは印象深い。この映画に出演していたのがきっかけで、栗山千明が「キル・ビル」に出演したのは有名な話である。

 

G線上のアリア

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そうしたキャラクターの中でも、特に異彩を放っていたのが安藤政信演じる桐山和雄。転校生というクラス外からのプログラム参加者で、七原たちの前に立ちはだかる劇中最大の敵として申し分のない強烈なインパクトを残していったことは言うまでもないだろう。

 

原作の小説やコミカライズでは元からクラスメイトだったため、映画版では設定が大きく改変されている。原作の桐山は容姿端麗で成績優秀の秀才なのだが、不慮の事故により感情を失い、人を殺すことに何の躊躇いも持たない生徒なのだ。このまま映画に反映してもよさそうなのだが、見たものをそのまま真似ることが出来るため未経験の格闘術を会得したり、そもそもの身体能力が人間離れしているという点が、あまりにも現実離れしているため、作品そのもののリアリティラインを崩しかねないと判断されたのかもしれない。

 

 

では映画版はというと、桐山は快楽殺人者になっていた。一人だけ派手な金髪に学ランを着用し劇中のセリフは一切ないという思い切った改変である。しかしこのキャラ付けは、桐山という男が命を何とも思わない冷酷さを持つ点を損なっていないし、プログラムを楽しみながら命を奪う姿があまりにも魅力的なのである。戦いを辞めようと説得する女子生徒をマシンガンでめった撃ちにしその断末魔をスピーカーで響かせたり、殺した生徒の生首に手榴弾を詰め込んで投げ込んだり、完全なるゲーム感覚で楽しんでいる。三村との交戦の中で作動した爆弾により両目を失うが、最後の最後まで観客からの同情を寄せる隙も与えず悪役を貫き通した。

 

 


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「走れ。」
この作品を締めくくる最後のメッセージである。

 

深作欣二がこの作品を映画化するに至った経緯として、自身の戦争体験に基づくものだったと言われている。当時中学生ながらも軍事工場で従事し、艦砲射撃で亡くなった友人の遺体をかき集めているときに抱いた「国家への不信」「大人への憎しみ」があったのだと。

 

劇中の過酷なプログラムに放り出された中学生たちは、深作自身があの時に抱いていた感情そのものを投影していたのかもしれない。大人たちの私利私欲にかき回され、身勝手な利権争いによる理不尽を被るのは、いつだってどの時代であっても子供たちだ。理不尽で無惨に虫けらのように命を散らされてしまう、この悲惨な状況は現代においても海外では平然と起こっている日常でもある。

 

目の前で次々と友達が死んでいきながらも前を歩き続けた七原と、彼を信じてどこまでも一途に愛を貫く中川。私たち観客がそんな彼らに生き残って欲しいと思うその心こそ、深作欣二が最も伝えたかったメッセージなのではないだろうか。平和な世界に育った若者たちを震え上がらせるためにこんな映画を作ったのではなく、将来の見えない多くな不安が広がっていても、どれだけ理不尽な事にぶつかろうとも、絶対に諦めずに前に進んで欲しい。七原と中川のように前だけを向いて走り続けてほしい、と。

 

私たち大人はそんな若者たちが走り続けなくてもいいように、安心して成長できるような世界にしていくことが責務なのかもしれないと、「静かな日々の階段を」を聴きながら考えている。