
(↑第25話の感想はこちら。)
クウガは金の緑の姿=ライジングペガサスへと超変身、それに伴って武器もライジングペガサスボウガンへと変形。体の各アーマーに金色の縁取りが入り元のペガサスフォームとシルエットや色合いに大きな変化は見受けられないが、発達した五感はペガサスよりも超越し、ライジングペガサスボウガンは銃弾を一度に連射することが出来るため、より長距離にいる対象を索敵することが出来る。自分が幼少期に買って貰っていたクウガの武器玩具がペガサスボウガンだったので、ライジングパーツを付けてよく遊んでいたことを思い出す。ライジングパーツを発射口に取り付けるとなかなかのボリュームになるため、園児がこれを構えるには結構大変だったなあと。
初変身で次回に続きオープニングで一度逃げられてしまうところまで、ペガサスフォームの時を踏襲しているのは面白いなと思いつつも、ライジングペガサスの状態でブウロの攻撃を受けてしまっているのである。五感の感覚が通常よりも鋭くなっているということは、もちろん触覚もその対象なので、この時どれほどの激痛がクウガに襲いかかってきたのか想像には難くない。アクターである富永さんの苦しみ悶える演技とこの時のオダギリジョーのアフレコもまた迫真で、こちらも自ずと固唾を飲んでしまう。その後すぐに変身が解除されて一条(演:葛山信吾)と会った時は、激痛だったことをほとんど感じさせない素振りなのもまた心苦しい。
満身創痍ながらクウガから放たれた銃弾をブウロは避けきれず、片翼に食らったためどう対処するのかと思ったら、まさか翼を引きちぎるだなんて……と当時いきなり生々しいシーンが飛び出してギョッとしたものである。ブウロが吐き出す矢は梟の特性であるペリットを利用したものだということが判明する。ペリットとは鳥類が食物を摂取した際に消化しきれなかった骨や毛などを塊にしたもので、特に猛禽類によく見られるとのこと。それを矢に成形し発射するため弾切れの恐れはほぼ無い。
#クウガ20周年配信 ペガサスの対戦相手として梟が案の一つに上がった際、フクロウ男の頭がデカくて丸々していたため強そうに見えなかったことを思い出し→カチューシャで鋭角的要素を作ると同時に全体を小顔にしようとした記憶があります。顎の髭っぽい部分は足の指で枝を握っている感じも表現してます pic.twitter.com/S1sdKnsCkD
— 高寺成紀☺ (@taka_69s) 2020年12月5日
これまでの未確認と違い段階を一つ上げたブウロの殺戮に対策本部の対応が全て後手に回ってしまい、杉田(演:松山鷹志)が思わず心の声という落胆してしまうシーンがとても良い。少なからず4号と協力しながら未確認生命体を撃破してきたものの、その経験値が無に帰されてしまう絶望。普通は心が折れてしまうと思うし、どうしたって諦めたくなる気持ちを素直に表していて人間味を感じる。
一条の鼓舞で再起し捜査に向かうのがまたアツくて良いのだけど、大変惜しいなあと思うところが一つある。それはブウロが殺戮を行う規則性が見えてこず捜査が難航するも、終盤そのブウロが出現することを予測し雄介に内線が入るシーンについてである。ここで何故それが予測できたのか、どんな規則性にあったのかが視聴者には全く分からないのである。東映公式によるとブウロは東京の23区を五十音順に巡回し人間を襲っていたとのこと。前段として法則を見つけられない事に憤っていた杉田がいるのだから、そのカウンターとして規則性を発見できたシーンが挟まれたら尚良かったのになあと。
ペガサスフォームは変身後の約2時間はクウガに変身することが出来ない。その時間は戦線を離脱するという物語上の都合もあるのだが、そこに合わせて人間ドラマが進んでいくのが構成として卓越している。第8話だと雄介は失踪した夏目実加(演:竹島由夏)を探しに出たが、今回は家出少年の霧島拓(演:木村貴登)を探して浅草に向かう。放送から25年が経っても拓くんの抱えている悩みにどこか親近感を覚えてしまうのは、その悩みが等身大というよりも、誰でも経験する普遍的なものであり最も難解な悩みだからだろう。大人の言いつけを守り期待に答えるために進んできたはずが、ふと未来を想像した時に「このままで良いのだろうか」と不安になり立ち止まる。
平成ライダーシリーズを数多く手掛けてきた白倉伸一郎氏は、漫画版「仮面ライダークウガ」第2巻の巻末に収録されているインタビューにて、漫画版のシナリオを任せる際になぜ井上敏樹に依頼をかけたのか、その経緯を通して『クウガ』における五代雄介の人物像についてこのように語っている。
Q,『クウガ』のメインライターで、近年の小説版も執筆された荒川稔久さんという選択肢もあるように思うんですが、そこは白倉さん的に井上さん一択であったと?
A.(一部割愛)井上さんは”広げる”方なので……世界よりも人物を掘っていく。そういった画で、漫画版は適任であるなと。変な話、五代雄介と一条薫というキャラクターを比べると、五代はつまらないんですよね。一条のほうがいっぱい背負っているものがあって、人間として面白そうに書けてしまう。でも、五代はわりと理想的な人物像として祭り上げられ、かつ変身して戦うという役割を担っているから、どうしても薄くなる。
この後の記述で、それが『クウガ』という番組の面白さでありファンの愛するところであると語っているのは前提として、非常にドライで第三者的に冷静な評価であると感じる。確かに雄介は物語の中で段階的にステップアップする成長型の主人公というより、既に主人公としては精神的に成長しきった円熟型であると言える。ドラマを運んでいく際に成長型のほうが軸には据えやすく描きやすいが、円熟型はその掘り下げがほとんど不可能に近いのはその通りなので、白倉氏の評は確かに的を得ていると言えるだろう。
しかし雄介に精神的な成長を描く側面がない代わりに、今回のような拓くん、そして夏目実加といった視聴者の視点に近いサブキャラクターのドラマを軸に動かすことができる。描かれるドラマの中に視聴者の介在する余地が残されているため、何年たっても感情移入することが出来る。また「つまらない」と評された雄介の人物像に関しても、その一つ一つの振る舞いや言葉遣いに彼のこれまで歩んできた人生が垣間見えるため、決して楽天的で能天気なただの「陽キャラ」になっていないのがとても大事なところで。
例えば、雄介が拓くんに向き合う時の姿勢が決して子ども扱いにはせずに、一人の人間として向き合っているところは最たるものだろう。神社の階段に腰掛ける時は目線が合うようにひとつ下に座り、まずは自己紹介から始めて自分にも家出経験があることを伝える。まずは自身の事を話して不信感を取り去るためのコミュニケーションが素晴らしい。彼もまた担任である神埼の教え子で先生に頼まれてここに来たと聞いた時に、拓くんの中で少なくとも信用できる人だと感じたのだと察せられるように表情が少し変わる。
#クウガ20周年配信 今回のEPが明日夢の青春を描く物語を作るきっかけになったことは間違いないと思います。体制や既成の価値に従い自分らしさに蓋をして生きるより、遠回りになるかも知れないけど悩みながら生きる道を肯定的に伝えたいという思いが子供番組制作者としてあった気がします#kiminohibiki pic.twitter.com/U67sxFwMlu
— 高寺成紀☺ (@taka_69s) 2020年12月5日
「もっともっと悩めばいいんだよ。」
「君の場所はなくならないんだし。君が生きている限りずっと、その時いるそこが君の場所だよ」
悩み続けることを肯定する雄介の言葉に、拓くんの表情はどこか安堵しているように見えてくる。簡単に決めることが出来ないから悩む。納得がいくまで悩み続ける。納得は全てにおいて優先されることなのだと。
あらためて振り返ってみると、ライジングペガサスのリベンジ戦は時間に換算すると大変短い。公式YouTubeに公開されている映像の通りで1分弱程しか変身しない。しかし出番が少なくなった分その見せ場が減ったわけではなく、凝ったショットで心を掴む魅せ場が用意されているのだ。現場に急行した雄介がクウガに変身し、同じく駆けつけた一条のセダンが対向車線から走ってくる。そして運転席越しにコルトパイソンの手渡し、良すぎる……。「くぅぅ~~~~!!!!」と思わず言ってしまうシーンをサラッとやるのが『クウガ』なんだよなと。しかもこの後ブウロの襲撃を受けながら、空中横前転を決めながらライジングペガサスに変身するというこれもまた「くぅぅ~(以下略)」なカットを挟んでくるので非常に”技”を感じるなあと。
それでは、次の更新で。
(↑第27話の感想はこちら。)
