感想『仮面ライダークウガ』EPISODE 35「愛憎」

www.kamen-rider-official.com

 

 

kazurex1215.hatenablog.jp

(↑第34話の感想はこちら。)

 

 

 

 

ゲゲルを達成するために転校生を狙うジャラジとそれを阻止するクウガだったが、その俊敏さに翻弄され無数に放たれた小さな矢を体中に受けてしまい、取り逃すことになった。去り際にゲゲルの邪魔をするなと警告をされたのも相まって、雄介(演:オダギリジョーの中に悔しさが募っただろう。

 

ジャラジとの戦いに並行して描かれるのが、わかば保育園の広之くん(演:鎌田雄太郎)と周斗くん(演:高木智昇)が喧嘩してしまうという一幕である。雄介やみのり(演:葵若菜)に諭されつつ、最後にどうしたいかを委ねられた広之くんはもう一度周斗くんに向き合い、自分の本心を真正面からぶつける。喧嘩という暴力の手段から、本心を伝えて対話する事を選んだのだ。

 

www.kamen-rider-official.comwww.kamen-rider-official.com

 

大人が忘れてしまった純粋さというか、小さな子ども達でも話し合いを選び解決することが出来るという感動の瞬間である。広之くんの気持ちを受け取った周斗くんが、黙って手を取り一緒に積木遊びへ引き連れていくのはグッとくるものがある。人間は暴力を選ぶ前に話し合うことが出来るし、握った拳をもう一度開いて、互いの手を取り合えるのが示される温かなシーンである。

 

 

しかし未確認生命体=グロンギには、それができない。握った拳はどちらかが倒されるまで振り下ろされ、決してクウガの拳が開かれることはない。「なぜこんな酷いことができるのか」と悩んでいる雄介の心情を察して一条(演:葛山信吾)が雄介に語っていたように、グロンギにある価値観や倫理観は人類のそれとは全く異なっており対話による解決は不可能。この話で思い出したのが、昨今話題になっているクマの駆除についての是非だった。クマは食べ物がなくて人里に降りてきたんだから可哀想だ、殺さずに生かす方法を考えろという声も未だ少なくないが、それよりも前に被害を受けて人が亡くなっているのが事実なのである。人間とほぼ同じ姿をしているグロンギにまず対話を、だなんて出来るのだろうか。

 

 

施設へ忍び込み高校生を殺そうとした瞬間にジャラジを見つけた雄介は、間髪入れずにクウガへ変身し、そのまま突進した勢いで2階の窓から落下する。そして馬乗りになったクウガはジャラジの顔面を目掛けて殴る。殴って殴って殴って、ひたすら殴り続ける。どこまでも卑劣なジャラジへの激しい怒りがクウガから溢れるほど湧き上がっており、それを声色に乗せてくるオダギリジョーのアフレコはまさに鬼気迫るものがある。このシーンはリアリティを求める為に、実際にアクター同士で殴りあって撮影されたことは有名な逸話である。

引用:https://www.kamen-rider-official.com/zukan/phantoms/726

 

この時のクウガは一見すると、怒りに我を忘れ感情のままにジャラジを一方的に攻撃しており冷静さを欠いているように思われるが、自分はそうではないと感じている。行動に怒りを伴っているが、その芯に据えた明確な感情の上で行動しているのではないかだろうか。それが「殺意」である。(余談だがそういったインパクトのあるシーンなので、優しい奴を怒らせるとこうなる系のミームによく採用されがちなのだが、雑な切り取り方をされるのが常なので内心とても複雑な気持ちではある。)

 

確かに敵を倒すのも命を奪うのも一緒だろうと思うかもしれないけど、善か悪かを判断する際に行動原理がどこにあるのかは、とても重要なことだと思う。クウガとして戦う雄介は、未確認生命体から人々を「守る」ために変身して戦っている。いわゆる殺人をゲームにして楽しむグロンギのように「殺す」ために殺しを行うのではない。

 

しかしジャラジと戦ったクウガの行動を振り返ってみる。前回対決した時にクウガが敗戦したのは、その捉えることが出来ない俊敏さと死角から複数放たれる小さな矢で体力を削られたからであった。その二点を封じるために、動けないように馬乗りになってジャラジを殴りつけて追い詰めて、機動力を徹底的に潰すためにビートゴウラムで両脚に向けて突撃する。そして矢を防ぐためにタイタンフォームで応戦。こうしてみるとかなり理にかなった攻撃を行っている。

 

追い込んだジャラジに向かって、ゆっくりと歩きながら近づくクウガは”ヒーロー”の姿ではない。ただただ怖い。恐怖。タイタンフォームからライジングタイタンにすかさず切り替わり、その殺気に腰が引けて怯えるジャラジを見据えるのと同時にカットインする亡くなった高校生の写真。演出として本当にキツいやつをぶっ込むなんて……誰がここまでやれ……。「お前はそうやって命乞いした人たちを殺したんだ」「苦しむ人たちをせせら笑って殺したんだ」そんな思いがクウガの中に湧き上がっているが如く、いざ今度は狩られる側になった時に同じ立ち振る舞いをしたことが、更に怒りを増幅させたに違いなくて。

 

引用:https://www.kamen-rider-official.com/zukan/phantoms/726

 

本来であればタイタンソードを腹部に突き刺し、封印の紋章からベルトを壊せば爆発が起きて倒すことができる。しかし近づいたクウガは叫びながら大きく振りかぶって袈裟斬り、そして横一閃に切り裂き、倒れ込んだジャラジの腹部へ剣を突き刺したまま、剣をベルトに向けて引いたのである。あの距離で倒すなら必要のない切り裂きを二回も行い、弱点に向けて明確に刃を引いているというのは、「殺意」がクウガの中に確かにあったという証左だと感じている。

 

 

※※※※※※※

 

ある文献を紹介しておきたい。『クウガ』に続く「アギト」「龍騎」などを世に送り出し、平成仮面ライダーシリーズの礎を作ったプロデューサー白倉伸一郎(現:東映株式会社 上席執行委員)氏が、自身の手掛けた作品やその時代に制作された特撮番組を通して「正義」の意味を問う新書『ヒーローと正義』である。現在は発売されていないため、中古品でかなりのプレ値がついているのが見受けられるほど。

 

 

今回のエピソードを通した批評が記されているのは、第4章「勧善と懲悪/都市社会の秩序」における「2.マナーからルールへ」(P.142〜)という部分である。ヒーローものではお約束の”勧善懲悪”という概念が平成に入ってどう変化してきたのかを振り返り、社会秩序の中にあるルールが影響を与え、時として「善」と「悪」の定義を変えてしまうと白倉氏は語っている。とりわけ大きな影響を与えた作品として『仮面ライダークウガ』と『ウルトラマンコスモス』を挙げており、少年犯罪に世相が揺れた背景とともに同時期に放送された今回のエピソード「愛憎」に触れていた。

 

そこでジャラジが少年的な姿をしていること、被害者が高校生という少年であること、そしてクウガがジャラジへ怒りを剥き出しにしながら葬ったことを前提にして、以下のように語っている。

 

義憤というには感情的すぎるほどの、怒りの奔流をほとばしらせるかれは、少年犯罪について議論沸騰する社会に対して、明確なメッセージを送っていたといえよう。

 

「最近の子どもたちはわからない。けれども、人を殺すようなヤツは、少年だろうがなんだろうが、怒りの鉄槌を下すべきだ!」と。

 

 

特撮オタクとしてのアイデンティティを作り出してくれたのは間違いなく白倉氏が世に放った作品たちのおかげだし、足を向けて寝る事ができないほど畏敬の念を抱いている。だがしかし、この解釈については異議を申し立てたい。

 

今回の「戦慄」そして「愛憎」は、正義の中に込められた「暴力」というテーマの到達点だったと自分は感じている。『クウガ』が描き続けてきた「暴力」とは、誰かを守り正義のために力を行使したとしても、それもまた暴力の一つであり加害性を孕んでいることは度々描かれてきた。雄介がたとえ未確認生命体が敵であっても拳を振るうことに嫌悪感を抱いていたように、正義という名のもとに暴力でしか解決できない皮肉が込められていたのではないだろうか。

 

引用:https://www.kamen-rider-official.com/zukan/phantoms/726

 

サブタイトルがなぜ「憎悪」ではなく「愛憎」であるのか、そこにも理由があると感じていて。「愛憎」とは「愛することと憎むこと」という意味で、絶対に重なり合わないアンビバレントな感情を示す複雑な言葉である。ここにおいて「愛憎」とは一個人に対して抱く感情というよりも、生物学上では同種族の人間とグロンギに対して描かれた感情であり、決して相容れることが出来ない決定的な違いを示したかったのではないだろうか。

 

確かにクウガは記されている言葉を借りるのであれば、鉄槌を下したと言えるだろう。しかし、人を殺めるヤツはたとえ少年であっても許さない、それを社会的なメッセージとして発信したいのであれば、なぜ保育園の子供達が和解する一幕を描いたのだろうか。雄介は子供達に、話し合いをして分かり合えればきっと仲直りができると説いた。しかし当の本人は拳を血で染めて暴力という一方的な方法でしか解決ができなかった。だからこそサムズアップも行わず、後ろめたさを抱えて佇んでいる彼を背後からしか映すことが出来なかったのではないだろうか。そこにヒーローの掲げる正義の「本質」があり、その「本質」に向き合い続けてきたのが『クウガ』という作品が挑んできたテーマだったのだと、自分は捉えたい。

 

 

それでは、次の更新で。