本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

好きなものをどんどん語ります

自分にとっての”思い出の一曲”を振り返ってみる。

 

音楽はその曲自体に思い入れがある場合もあるけれど、その曲を聴いていた当時の状況を思い起こさせてくれるし、シチュエーションごとに違った記憶を思い出させてくれることが多い気がする。超お手頃なタイムトラベルのような感じ。



よくトーク番組やドキュメンタリーを見ていると、ゲストやインタビュアーに「思い出の一曲はありますか?」という質問が投げられることを目にする。こういうのを見るたびに『俺だったらなんて答えるかな〜』と、とりとめもない妄想をしてしまう。

でも、あるんですよねそんな一曲が。聴くたびにその当時の色んな感情を思い出さずにはいられなくて、たぶん一生その気持ちが消えることはないのかなとも思ったり。



そんな自分にとって思い出の一曲をiTunesで買い直したこともあり、それに合わせて当時の思い出も蘇ってきたので記録がてら書き出してみようかなと思う。今回はほぼ自分語りな感じですが、よかったら読んでください。

 

 

 

 

 

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振り返るのは2013年、この時の自分は予備校に通う浪人生だった。

この年の出来事で主なトピックを列挙してみる。

 

2020年東京オリンピック開催が決定

・消費税率が8%に引き上げ

・「半沢直樹」が大ヒット

・「パシフィック・リム」が公開

・アニメ「進撃の巨人」が社会現象化

 

と、こんなトピックが思い出されるんじゃないかなーと思う。この時点で開催される予定だった東京五輪がまさか2020年の今年に延期になるとは思わなかったし、奇しくも同じ年に「半沢直樹」の続編が放送されて、”俺たちのパシリム”も7年前になる。

 

 

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どうしても目指したい、憧れていた大学があった。国公立の大学だ。

「ここの大学以外は考えていない。だめなら浪人したい。」という固執にも近い願望があったんだけど、現役のまま合格するのはやはり難しくて、この年の受験では見事に失敗。滑り止めを受ける選択肢もなかったので、センター試験を受け終わった後には気持ちが来年に向いていた。



両親は何も言わず応援をしてくれた。毎日通う予備校の授業料と電車で約一時間通うための交通費も出してくれて、この一年でかかったお金は、私立大学一年分の授業料とほぼ同じ金額になった。当時も金額の重さを分かっていたつもりだったけど、社会人を経験すると改めてその重さを実感する。



予備校に通う浪人生の生活サイクルを簡単に書いてみる。

朝の9時から夜の17時30分、月曜から土曜日まで授業を受ける。講義形式のものと演習問題を解く時間の二種類があって、1コマ分空きが出たりするので連続して受けるわけではない。こういうところは大学の時間割と似ている。授業を受けた後はその日習った内容の復習と明日の予習を行って19時くらいになる。それが終わってから予備校が開いている21時まで自習の時間、そして帰りの電車に乗っている間はとりあえず英単語帳を開いて勉強し、家に着くのが22時頃。そこからお風呂に入ってご飯を食べると23時。そして眠るのが0時頃、朝には6時頃起きて8時には家を出て授業へ、という生活サイクルだった。



「浪人して一年間を受験勉強にだけ捧げれば、絶対に合格できる。必ずできる。」

前年に受験失敗したのは、時間が足りなかったからだと考えていた自負が強かったのだろう。国公立の大学はセンター試験で使う5教科7科目の勉強をするので、一般的な私立大学で必要な3教科よりも勉強量は多くなる。現役の受験生より時間のある浪人生のほうが有利になるのはその通りで、合格率もぜんぜん違うのである。

 

 

大学の学部・学科が一番よくわかる本

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しかし、自分の想定が甘すぎた結果、

浪人して初めて、大学受験の過酷さを思い知ったのである。



予備校というのは”予備”校なのである。あくまで一通りの勉強を終えた者にプラスアルファで足りない部分を補うことが目的なので、予備校でイチから学ぼうとする姿勢そのものが間違っているのである。



現役の時の自分はどうだったか。

5教科を満遍なくやろうとして結局どれも伸ばすことができないまま、最強の中途半端だ。そんな自分は「浪人して勉強をイチからやり直そう」としたのだ。この考え自体は間違っていない、しかしこれをやるには一日も休む暇なく、まさに全身全霊を捧げるしかない。

 

 

じゃあそれができるかと言われれば答えは否で、苦手な科目で躓けば時間だけが取られていくし、遅れた分を取り戻そうとすれば進むべき単元に乗り遅れてしまう。予備校の授業は淡々と時間割通りに流れていくし、分からないところを質問に行っても同じことを考える生徒は他にもいて、結局聞けないままになる。せっかく聞けても次の授業に大幅に遅れしまって…という最悪の悪循環を生み出していた。唯一授業がない日曜日を使っても全然足りなかった、というか気力負けしていたと思う。

 

 

予備校内に友人がいれば少し違ったのかもしれないけど、「勉強するのにそんなのいらない」と常に一人でいることを選んだのも失敗だった。お察しの通り、当時の自分は空回りし過ぎて努力の方向を完全に間違えていた。悪循環はしていたものの忙しなかったので、自分的には”勉強をやっている”感が出ていたんだと思う。皮肉な話である…。



しっかり軌道に乗って順調に成績を伸ばせていった人、予備校のリズムに乗れず成績が横ばいのままの人、浪人に耐えきれずドロップアウトする人、三者三様の人間が渦巻いている予備校という空間では、自分が思っている以上に追い込まれている人が多い。無自覚なだけで。

じゃがりこサラダ味に向かって独り言を話す奴、エレベーターで最上階まで登って階段で降りた後にまたエレベータに乗る奴、常に女子を侍らせてラウンジと勘違いしている奴、運動不足を解消するという理由で予備校周りを私服でランニングする奴……、書き出すとシュールだけど、こうでもしなきゃやってられなかったんだろう…と思う。



 

 

 

 

この一年間だけは、ほんとに別次元にいたような気がする。世間とは隔離されたここだけの世界。同級生はそれぞれの道を進んでいて、大学や専門学校に進学した子もいれば、早くに就職し始めた子もいる。浪人までしたのに思うように結果が出せない自分への苛立ちと焦りが襲ってくるのと同時に、自分だけが取り残されてしまったような寂しさも募っていく。じわじわと首を絞められているような、徐々に酸素が抜き取られて息するのも苦しくなっているような感覚だった。




結局のところ、最後まで模試の結果は、現役の時と変わらなかった。

迎えたセンター試験本番、自己採点の点数割合も去年とほぼ同じ。

むしろ去年より数十点下がっていた。

 

頼みの綱の私立大前期の試験、全ての日程が不合格だった。

残りに控えている国公立の二次試験は2月の後半、

満点をとっても巻き返すことはほぼ不可能。

 

絵に書いたような絶望的な状況だった。この時すでに2月の中旬。

 

 

予備校での授業は終了していたので、1階の受付では結果を報告する生徒で溢れていた。むしろ来年度に予備校へ通う保護者説明会まで開いていて、「あ、俺の居場所はどこにもないんだな。」と。結果発表をどこで確認したのか、実は全然覚えていない。ただ予備校の入口まで行ってすぐに引き返したことだけは覚えている。報告なんてできるわけがなかったし、そんな勇気もなかった。

 

 

「両親になんて言えばいいのか。応援してくれた友人にも。合わせる顔がない。俺の一年間は何だったんだ。俺は今まで何をしていたんだ。」何度考えても仕方がない堂々巡りの言葉がずーーーーっと頭の中を駆け巡っていて、ひたすら歩くしかなくて、大きな交差点に架かった歩道橋の上からぼーーーっと1時間くらい下を走る車を眺めていた。あの時の心理状態は、自分の人生の中で一番やばかったんだろうと思う。



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で!!!!!

 

前フリがクソ長くなってやっと本題ですが……

まるで平成ウルトラマンの最終三部作並みに絶望的な状況下で自分を支えてくれた、

心に残る思い出の一曲がこちら。




Fight For Liberty』/UVERworld

Fight For Liberty

Fight For Liberty

  • provided courtesy of iTunes

 

若い世代を中心に絶大な人気を誇っているUVERworld(読み:ウーバーワールド)の通算24枚目のシングルで、当時放送されていた「宇宙戦艦ヤマト2199」のオープニングテーマにも起用されていたり、youtubeにアップされているMVの再生回数がウーバーの中でも歴代2位らしい(2018年時点での話)。

 

 

血が滾ってくるようなロックと彼らの魂がこもった熱い演奏、UVERのもつ格好良さが惜しげもなく詰め込まれている。この曲はほぼノンストップというか間奏がなくAメロBメロときて転調してすぐサビを迎える。ほぼTAKUYA∞は歌いっぱなしで、そこに激しいドラム演奏と絡み合っていくギターの演奏、全速力でしがみつかないと聴いているこちらも振り落とされてしまいそうになる。

 

 

なんといっても、この曲の歌詞がグサグサ心に刺さってきた。

歌詞のメッセージとしては、”たった一度きりの人生、無為に過ごすな。戦い続けろ。”という彼らなりの人生への応援歌に仕上がっている。普通ならカッコいい曲だと思って聴くだけのところを、自分の置かれている状況と重ねてしまうと、何者にもなれなくて生きているのか死んでいるのかも分からない自分を歌われているような気がした。それと同時に「ここで動かないと一生後悔する」、そんな思いが湧き上がってきた。



 

 

 

 

両親にお願いをした。

「私立大学の後期日程を受験したい。それでだめなら専門学校に通わせてください。お願いします。」ここでも両親は快諾してくれた。だけど一つ言われたのは、「どんな大学に入っても結局は自分次第でどうにでもなる。」と。これが全てだった。久しぶりに親の前で泣いたと思う。



そして過去の自分を悔い改めることにした。

まずは自分の力を過信しないこと。今の自分なら確実に受かる大学を2つ、そして前期日程で落ちた大学を1つ受けることにした。

 

そして人に頼ること。後者の大学には自分の同級生が現役で合格していたので、恥を忍んで対策を教えてもらうことにした。事情を知った友人は快く使わなくなった過去問を全て譲ってくれたし、力を入れている教科の対策まで教えてくれた。

 

最後はなりふり構わず突っ走ること。図書館に9時から17時までこもって、実際の時間で過去問を解き続け、間違ったところを復習し解説を読み、また問題を解く。後期試験までの2週間は、ほんとに死にものぐるいだったと思う。

 

 

 

 

そして迎えた後期日程、どの入試も無事に終えることができた。

結果はなんとすべてが合格。

その中で一番レベルの高かった前期日程で落ちた大学へ通うことができた。合格発表を見たのが日本橋アニメイト前、対策を教えてくれた友人と高校時代の同期で遊びに来ていたときだった。人生で一番嬉しかったベストに必ず入れる瞬間だった。



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人生を振り返ってみても、浪人生だった一年は確かに大変だった。でもこの経験があるからこそ、思っていたよりもキツい社会人という身分も「あのときに比べたらな」と思えるし、少し歯を食いしばって乗り越えていけるんだと思う。

代償は少なくないけれど、得られたものは確実にあった、そう思える今に感謝したい。

 

 

 

この大変な状況が続く中で「あの時は大変だったよな」と言える未来が来ることを願って、一番好きな歌詞を結びの言葉にしたいと思う。

 

 

後ろに明日は無い 力を宿せWAR

何も無かった日々に 力を宿せWAR

今しかできない事も確かにあった

戦うときはいつだって一人だぞ 

でも一人じゃない事もわかるだろ?

Every Life 力を宿せWAR

 

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