本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

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感想『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』後日譚が導き出す『00』の到達点、そこに究極の「完結編」を観た。

 

ついに『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』(以下:劇場版00)を観てしまった。

 

 

 

 

 

 

機動戦士ガンダム00』(以下:00)という作品は、1stシーズンと2ndシーズンの全50話で、堂々の完結を迎えた。話数の長さゆえに視聴へ踏み切るハードルの高さもありつつ、歴代シリーズ未見ガンダム初心者の自分が一体どこまで楽しめるのかという不安もあったけど、先日記事を更新した通りで、ブログへ感想を書きなぐるまでにドハマリしてしまった。

 

 

 

 

 

とにかく面白かった!

 

まさか本当に全話視聴し終えるとは思ってもみなかった……というのが本音なのだけれど、完走へ至るまで地道に勧めてくれた方や、導いてくださった方々のおかげがあってのことなので、本当に感謝の気持ちです。

 

作品の掲げてきた「戦争と平和」というテーマを通じて、人間の美しさや戦争の愚かさを描き、ガンダムに乗って成し遂げる「願い」、平和な世界を築き上げていく尊さ、そして手を取り合って「未来」に向かう明るい展望。決して完璧な作品とは言えないかもしれないけど、『00』という作品が伝えたいメッセージは、しっかり自分の心に届いたことは実感している。

 

 

 

 

 

だからこそ、だからこそなのである。

 

 

 

「本当に『劇場版』は必要なのだろうか。彼らが創り上げた真の平和が訪れる世界に、”その後”を描く意義は果たしてあるのだろうか……。」

 

という疑問が、胸を覆い続けた。




 

この悩みをこじらせすぎたがゆえに、観るのが怖すぎて、このままTVシリーズだけを自分の中の『00』にして、劇場版は観ないことにするという選択肢も本気で考えた。完結した物語の「その後」を描く、後日談を語るというのは本当に難しい。綺麗に閉じられた物語の扉をまた開くことで、幸せに暮らすことが出来た登場人物、平和に作り上げられた世界、それら全てに""続き""を付与することになる。世界的な人気を誇る「スター・ウォーズ」シリーズが賛否両論となったように、そこへ続く物語が傑作となるか地獄となるかは、フタを開けてみるまでは分からない。



 

 

しかしながら、勧めてくれた方々からの核心に触れない熱意のあるプレゼンを聞き、今後どこかで劇場版のバレを踏んでしまった場合にガッカリしないか……という心配の声もあって、それなら覚悟を決めて自分から『劇場版00』を観ようと決心が定まった。せっかくここまで追ってきた作品だし、どんな結果になったとしても、観終えることに意味があるのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 



泣いた。嗚咽。

エグいほど泣いた。

 

 

 

 

ありがとう……。

 

 

劇場版まで観ることが出来て本当に良かった……。




 

感想として用いる「泣いた」という表現は、往々にして大げさなときもあるけど、今回の劇場版に関してはガチで泣いてしまい、特にクライマックスのある展開からその涙が止まらず、テンションも上がりすぎた結果、自分でも到達したことのない感情を生み出してしまった。こうした何かを鑑賞中に堪えきれなくて涙を流すという経験では、『アベンジャーズ エンドゲーム』が一番なのだけど、次点で『劇場版00』が入ってくるレベル。これをもし劇場で観ていたら本当にぶっ倒れていたのでは……と。



 

 

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閉ざされた世界

閉ざされた世界

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今回の『劇場版00』は完全なる後日譚として、「その後の世界」と「彼ら」がどうなったのかを真正面から描き出す。イノベイドとの戦いから二年が経過し、戦争の傷跡も徐々に薄れていく中でソレスタルビーイング(以下:CB)は世界の監視者として活動を続けていた。マイスター達が自分たちの進むべき道を切り開いた一方で、純粋種のイノベイターへ覚醒を遂げた刹那・F・セイエイ(演:宮野真守)は、その超然的な力に戸惑いを隠せずにいた。



 

 

刹那というキャラクターは、物語の中で終始ブレることがない主人公であった。「戦争根絶を願いガンダムと共にそれを成し遂げる」という覚悟に迷いはなく、その強いキャラクター性が『00』という作品においての核であり、彼の存在自体がその軸を担う大きな柱でもあった。しかし今回の『劇場版00』ではついに彼と「運命」を対峙させ、あらためて刹那・F・セイエイとは何者なのかを浮き彫りにする試練を与える。



 

 

刹那のように内面的な成長の伸びしろが円熟している主人公において、経験や挫折を経て成長していくドラマはあまり描かれにくい。逆にその役割を担っているのが、同じガンダムマイスターの面々やサブキャラクターだったりする。ライル・ディランディ(演:三木眞一郎)はガンダムマイスターとして亡き兄の意志を継ぎ、アレルヤ・ハプティズム(演:吉野裕行)は愛する人と共に新たな人生を歩み始めた。2ndシーズンでどうしても活躍の割りを食ってしまった二人だったが、今回の劇場版ではTV本編を踏まえた上での成長を見せてくれるため、それだけでも後日談が描かれたことの嬉しさが溢れてくる。



 

 

さらにもう一人、刹那の好敵手であり連合のパイロットであるグラハム・エーカー(演:中村悠一)の真価が発揮されるのは、紛れもなく『劇場版00』なのである。ガンダム固執するあまり、戦いを求めるただの狂人に成り下がった彼だったが、刹那との一騎打ちで「戦うための理由」を諭されたことにより、軍人としての誇りを取り戻し、正真正銘のグラハム・エーカーが帰ってきたことに、どれほど拳を握っただろう。

 

 

 

 

 

そんな刹那やCBのクルーたち、世界平和に向けて手を取り合った人類の前に現れたのが、地球外生命体。通称:ELS(エルス)。金属のような質感をまとって血の通いすら感じさせない無機質な外見、言葉も発さず意思疎通が可能なのかすら分からない得体のしれなさ。物体と一体化しその情報を得ていく恐るべき学習能力の速さで、人類の培った経験値も技術力も全て無に返していくELSは、まさに00シリーズ最大の敵にふさわしい。『機動戦士ガンダム』シリーズにおいて、いわゆるエイリアンが敵として登場すること自体がほぼ初めてのことらしく、界隈的にも衝撃的だったらしい。しかし、イオリアの提唱した「来たるべき対話」、そして『00』で描き続けた「戦争と平和」、この双方が辿り着いた先での""地球外生命体との遭遇""は、これ以上にない帰結なのではないか、と。

 

 

ELS~IMPREGNABILITY

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今回の『劇場版00』は後日談の装いながらも、TVシリーズの総括的な役割も担っており、その中身を紐解いていくと、実は「再構成」に近いものがある。世界観を丁寧に積み上げつつ、すべての要素をクライマックスに収束させていく1stシーズン、キャラ同士の掛け合いがドラマを生み、瞬発力の高いエモーショナルな展開で引っ張っていく2ndシーズン、両シーズンのストロングポイントを融合させ、あらゆる要素にフォローする隙きのない作り込み、それをエンタメ性に富んだストレートな燃えに昇華させていく。こうして『劇場版00』はTVシリーズの旨みを「再構成」していく。




 

この「再構成」という手法によって、『00』という作品のどこが好きで、どこに惹かれたのかというポイントを、観客に追体験させる。実のところ劇中においては、TV本編と同じ展開をなぞっているシーンが多かったりもしていて、窮地に追いやられたアレルヤを迎えに来るデュナメスリペア、ティエリア・アーデ(演:神谷浩史)の操縦するラファエルガンダムが刹那の元へ駆けつけ、部隊を率いてELSを圧倒するグラハム、やはりTVシリーズを追っていく中で誰もが""好き""でしかないシーンの連続なのである。

 

 

しかし、TVシリーズ追体験と言っても、ただなぞるのではなく、そこに新たな意味合いを付与したり、ファンサービスも含めた細かな目配せが実は嬉しかったりするんだよなあ、と。ロックオンと数年ぶりに再会したアレルヤの絶妙な表情であったり、ラファエルの旧二世代を超える圧倒的な火力の発揮、陽動と殲滅を同時にこなすグラハムまじパねえ……と、観客のもつ期待に対してストレートな答えを出していく。

 

 

 



 

シリーズ通して劇伴を担当している川井憲次氏によるサウンドは、今回の劇場版でも健在で、これもまた追体験の一助になっていることは明らかだろう。本編を彩った数々の名曲たちが、より重厚感あふれるサウンドに昇華していたり、ヒロイックなアレンジが加えられ、メドレー形式に「再構成」されている。言うところの「川井サウンド」は本当に耳に残るタイプの音楽で、映像からくるイメージを基に作曲を行うとのこと。だからこそ納得がいくというか、ストリングスや金管楽器の音色がスピーディに駆け抜けていき、映像とはめ込んだ時の一体感が凄まじいほどに気持ちよくて、楽曲を聴けばそのシーンが自然と浮かび上がってくる。

 

 

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こうして「再構成」された本編は、鮮烈な登場を果たしたデカルト・シャーマン(演:勝地涼)=もう一人のイノベイターが儚くもELSに取り込まれたことを機に、刹那による「トランザムバースト」も通用しないまま、人類滅亡へのカウントダウンが始まる最悪の事態へ転がっていく。ここから『劇場版00』の本編が始まると言っても過言ではない。



 

 

『劇場版00』は、大きな主題として「生きる」ことをテーマに据えている。連合軍もCBも一般市民も、垣根を取っ払った全員が一丸となって、「種」の生存そのものをかけて立ち向かい、共通の目的のために一丸となっていく。これは例えば『シン・ゴジラ』における巨災対が顕著なように、与えられた場所で自分にできる限りのことを尽くす、その道のプロフェッショナルとしてやるべきことをやる、ただそれだけのこと。戦争という負の遺産を背負いながらも、それでも生きて、命をつないでいくことに意味があり、未来を進むために前を向いていく。ギリギリの防衛線を死守していく仲間たちの姿に、涙を流さずにはいられないのである。アンドレイ・スミルノフ(演:白鳥哲)に与えられた禊のための死に場所であったが、両親の想いを継ぎ、軍人としての使命を全うした最期に、またボロ泣きしてしまった。

 

 

もう何も怖くない、怖くはない

もう何も怖くない、怖くはない

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そして刹那は昏睡状態の中、GN粒子の影響により仲間たちのもとを訪れていく。キャラクターの歴史を総括する為によく用いられるのが、大切な人との邂逅であり、亡くなってしまった者との対話だ。この世に存在しない者から託された願い、伝えられなかった思いを伝えることで、そのキャラの成長を描くことが出来る。

 

刹那にとってその分岐点となったのがクルーのリヒティとクリスティナ、そしてニール・ディランディ。「生きる」ことが出来なかった彼らから託される願い、「過去」ではなく「未来」の為に変わり続けること、今を「生きる」為にそれぞれの場所で戦っている仲間たち。過去と現在の想いを受け取り「生きる」ことこそが「未来」を築く架け橋であり、それを叶えるのが刹那でありダブルオークアンタなのだ、と。

 

 

 

 

「言ったはずだぜ、刹那。お前は変わるんだ。変われなかった俺の代わりに。」

↑ニール推しの俺、ここで大号泣。



 

 

そしてクライマックス。ダブルオークアンタという最後の希望が戦場に舞い戻る。サバーニャがハルートがブレイヴが、全身全霊をかけて一筋の突破口を創り上げていく。生きるために戦い、未来をそして明日を切り開くため、その全てが刹那に託されていく。この一連のシーン展開を、言葉にするのはもはや野暮かもしれない。超絶美麗で描かれるバトルシーンの作画に、全50話分の積み重ねを感じさせるセリフ運び、それを彩る川井サウンドの真骨頂「FINAL MISSION~QUATAUM BARST」。『00』史上最高の盛り上がりとも言える「燃え」と「泣き」が、怒涛の勢いで押し寄せてくる。

 

 

FINAL MISSION~QUANTUM BURST

FINAL MISSION~QUANTUM BURST

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ライルの「乱れ撃つぜええええええ!!!!」、アレルヤの「未来を切り開く力だ!!!!」、そしてグラハム自身が「行け、少年! 生きて未来を切り開け!!!」と刹那の背中を後押しした事実に、もう泣きすぎて何を観ているのか分からなくなってしまった。この感情をどう表せば良いのか、単純にアツいとか泣けるではない、その先の到達点。ただ一つ分かっていることは「今このシーンを観るために『00』を追いかけてきたんだ。全てはこのためだったんだ。」という確信だけ。

 

 

 

 



 

そして刹那とダブルオークアンタは、ELSとの「対話」を実現させる。ガンダムで戦争根絶を成し遂げようとする刹那の願い、互いへの理解を深めることで平和を実現しようとするマリナ・イスマイール(演:恒松あゆみ)の願い、TV本編では決して交わることが出来なかった二人の「願い」が、遂に「クアンタムバースト」で実現する。

 

 

「だから、示さなければならない。世界はこんなにも、簡単だということを…。」

 

刹那のこのセリフが、『00』という作品の伝えたかったことであり、異質と言われながらもガンダムで「戦争と平和」というテーマに真正面から向き合い、「地球外生命体」との戦いを描いた本懐なのだと思う。たとえ「種」の異なる生命体同士であっても、ほんの少し相手に歩み寄ればいい。それは同じ人間同士であっても同じで、決して難しいことではない。お互いが「生きている」ということ、他者を理解しようとする心さえあれば、争い合う必要なんてないのだ、と。

 

 

 

 

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クオリア

クオリア

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9月から視聴し始めた『機動戦士ガンダム00』、約2ヶ月で完走し終えることが出来た。色んな方にオススメされても、ハマらなければ途中で断念することが多い自分なのだけど、驚くほどに『00』が好きになってしまった。特に今回の『劇場版00』に関しては、アマゾンプライムのレンタルを二回行ったし、これは手元においたほうが良いだろうと思って、つい先日『劇場版00』のブルーレイを購入してしまった。

 

 



 

 

今なら、声を大にして言うことが出来る。

機動戦士ガンダム00』という作品の中で、『劇場版00』が一番大好きだ。

 

 

そして『機動戦士ガンダム00』という作品に11年越しで出会えたこと、自分にとっての「初めてのガンダム」が、『00』で本当に良かった。もしスクリーンで『劇場盤00』を観る機会があれば、その時は劇場へ駆け込もうと思う。それまではブルーレイで余韻に浸りながら、何度も何度も観返していきたい。

 

 

今はただこの一言に尽きる。

 

本当にありがとう。