本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

好きなものをどんどん語ります

感想『機動戦士ガンダム00』1stシーズン。「戦争の根絶」という理想を求めた4人のガンダムが辿り着いたその先へ。

 

 

Twitter繋がりでいつも仲良くして頂いているフォロワーの方から、常々オススメされていた機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』(以下:ダブルオーと表記)を先日やっと視聴し始めた。というのも、以前に自分のオススメしていたある作品を有料サブスクにまで入会して頂き、ついぞや完走までしてくれたのである。この場をお借りしてもう一度感謝をお伝えします。ほんとにありがとうございます。そこまでしてもらったら自分も応えなければ……という気持ちもあり、現時点で1stシーズン(25話まで)をまずは完走したのだけれど……




 

いや、めっちゃおもろいやん…………。

 

 

 

 

 

お……俺はずっと、この作品に出会わない人生を過ごしてきたのか……???



 

 

 

 

 

自分の人生において、ガンダムにどハマりする日が来るとは、夢にも思わなかった。Twitterに感想を放流すると、そもそも全く違う趣味で繋がった方々からも反応をもらうことが多く、『ダブルオー』という作品をいかに皆が通ってきたかを思い知らされた。そして早く2ndシーズンに手を出したい衝動を抑えつつ、自分の中にある感情をいったん整理しておかなければと思い、こうして記事に仕上げることにしたのだけれど、『ダブルオー』の話へ入る前に、そもそも『機動戦士ガンダム』というシリーズと自分自身との関わりについて、簡単に触れておきたい。

 

 

 

そもそもガンダムシリーズは自分にとって、「敷居が高いジャンルの作品だなあ……。」という印象をずっと持っていた。自分の生まれる前からシリーズとして続く長い歴史、緻密に作り込まれた膨大な設定やキャラクターの数々、作品内や作品外を問わず豊富な語り口、メカニックのカッコ良さに留まらない人間ドラマの厚さ、ガンダムシリーズが持つ素晴らしさをオタクの端くれながらに理解しているからこそ、真っ向から向き合った時にその高い壁が眼前に立ちはだかってくる。「手を出したい……でも生半可には出来ない……うーん……」という面倒なオタクの面倒なこだわりだということは重々に承知しています……。

 

 

 

 

そして実はもう一つ、ガンダムシリーズに踏み込めない理由があって、それは「戦争」をテーマの題材に扱っているところ。自分がそもそも戦争ジャンルの作品を"フィクション”として消化できないというか、戦争は人類の歩んだ歴史の中で実際に起こった出来事であると同時に、そうした負の遺産をストレートに描かれてしまうと、やはり視聴することを避けてしまうきらいがあった(戦争を学ぶことについては大切だと思うので、しっかり学ぶか娯楽作品にそれを持ち込むかというスタンスの違いです)。



そんな前提のもとに、見た目が好みのプラモデルを買っては組み立てて、ソフビの怪獣たちと戦わせて遊んでいた程度の関わりしかなかった自分が、なぜ『ダブルオー』をここまで楽しめたのか。おそらく上に記したガンダムシリーズのネックとして自分の感じていたモヤモヤしていた部分が、絶妙に取り除かれているからなのではないか、と。

 

『ダブルオー』はあくまでこの作品単体で成り立つシリーズなので、過去作はもちろんガンダムの存在をまるで知らなくても問題がない。劇中で新しい設定や用語が飛び交ったとしても、あくまで予想をするにしか過ぎないので、往年のガンダム玄人ファンも、完全新規の超ビギナーも、同じスタートラインに立つことが出来る。だからこそ、純粋に『ダブルオー』という物語を、皆が一緒に固唾をのんで見守ることが叶ったのだなあ、と。

 

そして『ダブルオー』もやはり「戦争」をテーマの一つとして扱っているんだけど、主人公サイドの立ち位置が「戦争の根絶」を目的に掲げているところがポイントだと思っていて、彼らの行動が”平和のために”戦うことに起因しているからこそ、自分の使命と葛藤しぶつかり合い、それでも前へ進もうとする意志の強さが生むドラマに、思わず心を打たれてしまった。

 

 

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『ダブルオー』のあらすじをざっくり説明しておくと、世界が3つの超大国に分かれ、エネルギーの資源争いや利権争い、24世紀になっても未だ一つになりきれない人類の前に「戦争の根絶」を目的に掲げ活動する私設武装組織『ソレスタルビーイング』が現れる。彼らは世界中のあらゆる戦争や内乱に武力をもって介入し、そこで活躍するのが”ガンダムマイスター”と呼ばれる4人のパイロット達で、彼らはそれぞれ機能別に特化したモビルスーツを操っては、次々とあらゆる武力紛争を解決していく。



 

格闘戦や近接戦闘を得意とするガンダムエクシアを操縦するのは、この物語の主人公である刹那・F・セイエイ(演:宮野真守)。遠距離射撃や後方支援で狙った対象を確実に破壊するガンダムデュナメスに搭乗するのが、メンバーの中で最年長であり兄貴分のロックオン・ストラトス(演:三木眞一郎)。そして自身の選択に悩み続けるアレルヤ・ハプティズム(演:吉野裕行)が操るのは、飛行形態への変形機構を有しながらトップクラスの機動性で戦場を駆け抜けるガンダムキュリオス。そして常にミッションを淡々とこなすティエリア・アーデ(演:神谷浩史)は、その一撃で戦局を大きく変えてしまう重武装型のガンダムヴァーチェを乗りこなす。

 

 

 

能力別にガンダムが分けられているため、そのミッションごとにチーム編成されるところも面白い。前線でエクシアが敵を駆逐する一方で、デュナメスが後方射撃でサポートを行う。また、キュリオスが敵陣営に切り込んでいくのであれば、ヴァーチェがその砲撃をもって道を切り開いていく。そのため、彼ら全員が同じ戦場で一堂に会することは滅多に無い。だからこそ、4人が揃った時に生まれるカタルシスへと繋がっているのも実に上手いなあ、と。

 

 

また、モビルスーツが明確に区分されているように、パイロットであるガンダムマイスターに関してもそのキャラ付けが実に記号的に感じるのだけど、主軸となる4人の色分けをシンプルにしたことが、描かれる人間ドラマにも却って没入しやすいし、それこそ自分のような初心者オタクにとってはありがたかったりする。

 

 

時に任務を逸脱して行動する刹那とヴェーダからの指示を絶対遵守するティエリアは、まさに水と油だし、皆をまとめるロックオンは最年長で落ち着いていて、人間味に溢れるアレルヤが実は一番の常識人だったりする。だからこそ意見が食い違えばチーム内に不和が生まれるし、自らの行いが本当に正しいのかどうかで悩み立ち止まることもある。決して良いチームとは言えないかもしれないが、上にも述べたように、それでも彼らの根底には「戦争の根絶」という共通の認識があり、なぜ戦いに参加するのか?という動機が過去を掘り下げていくことで明らかになっていく。

 

 

 

 

 

刹那は紛争のために洗脳され肉親の命を奪っているし、ロックオンはテロによって家族を失っている。そして、超兵計画という非人道的な改造手術を施されたアレルヤはもう人間とは呼べない。唯一ティエリアだけが現時点でどのような過去を持つのか明らかになっていないが、ミッション遂行に懸ける思いから何かしらの覚悟があることは察せられる。



「戦争をなくすために武力介入を行う」という矛盾を常に孕む行為を遂行するために、それ相応の覚悟を決めるに値する苦しい過去が、ガンダムマイスターには存在する。そうした一面が垣間見えてくると、内面に抱えている彼らのキャラクター像が実は真逆だったりするのも面白い。普段は感情を表に出さない刹那が、宿敵と対峙する時に激しく怒りを燃やしたり、冷静沈着なティエリアが自身のミスで窮地に追い込まれ涙を流すナイーブな一面を持ち合わせていたりする。ガンダムマイスターといっても、決して完璧な人間ではなく、背負ったものと向き合うがゆえに人間味の溢れた一面を持ち合わせているのも、魅力の一つなのだろうな、と。



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ガンダムと呼称される機体が主人公サイドにしか存在しないこともあって、基本的に戦場ではソレスタルビーイングが優勢となる展開が続いていく。パワーバランスとして主人公サイドが最初から圧倒する位置で始まるのも自分にとっては新しかったし、1クール終盤までそこが徹底して崩されないことで、ガンダムという機体を巡る政治的な利権争いにも説得力が増す。

 

しかし、ソレスタルビーイングに敗れるばかりで、序盤こそ派手に機体を散らすしかなかった敵陣営が、自国で最大限に振り絞った知恵と技術力、そしてガンダムを圧倒するために己の限界を越えようとするパイロットの努力により、その勢力図が拮抗に近づいていく下剋上的なアツさを生み出すのが面白い。



 

『ダブルオー』という物語に大きな転換点が生まれたのは、第9話「大国の威信」だと感じている。このエピソードを見た時、「この作品は絶対に視聴者の期待に応えてくれる……!!」という確信を抱くことが出来た。1stシーズンを通した上で見直すと、この第9話がその先の展開に向けて、様々な伏線や前フリも散りばめられていることに気付かされる(それらも後々しっかり拾われる)。

 

 

 

 

「そろそろソレスタルビーイングの居場所、バレてもおかしくないよね?」、これは1クール終盤に近づくとうっすら頭に浮かんできた文言である。各国がガンダムの獲得を目指し躍起になっている中、世間にも広く知れ渡ったソレスタルビーイングという組織の本拠地を抑え、ガンダム鹵獲作戦という大規模なオペレーションを展開しようとするのは、至極真っ当なことだと言えるだろう。制作陣もそこにかなり自覚的なのだろうな、と。



敵対する国家の一つである”人類革新連盟(人革連)”に所属するセルゲイ・スミルノフ中佐(演:石塚運昇)によって展開されるこの作戦は、その特務部隊と戦略をもって格上のガンダムを攻略していく。機能別に特化したガンダムの能力を見極め、その一長一短に合わせてカードを切り、じわじわと追い込んでいくさまはまさに知将。完全に敵の術中へ嵌ってしまい、なんとか切り抜けさえしたものの、この戦いは大きな悔恨を残すことになる。



さらに続くエピソードにおけるガンダムナドレの顕現、ハレルヤ・ハプティズムの覚醒、これらの要素が1stシーズンクライマックスへの布石だと考えれば、第9話そのものを『ダブルオー』という物語を、大きく動かすためのマクガフィンにさえ位置づけているのである。自分がこの辺りから『ダブルオー』という作品への熱の入り方が変わったのも、実は制作側の思うツボだったのかなと感じるところは大いにある。

 

 

 

 

 

 

 

言葉を選ばずに言うならば、正直なところ『ダブルオー』の物語は主に1クール目はスローペースの印象が強い。そもそもの世界観や味方・敵陣営の両サイドについてあまり詳しい説明もされないし、キャラクターの掘り下げもセリフによって匂わされる程度で具体的には明示されない。1クールの折り返しを過ぎても、まずは主人公サイドが戦地へ赴き、ガンダムによって様々なミッションをこなしていきながら、物語においての伏線や細部を少しずつ露出させていく。これが良いとか悪いとかの話ではなくて、『ダブルオー』という作品の輪郭をあえてあまり出さないまま進めていくストーリーテリングは挑戦的だなと感じた。ここの感じ方はリアタイ視聴なのか、後からの視聴なのかで、大きく分岐するところなのだろう。



そのため遅効性のエンタメ、という感じだろうか。ガンダムマイスターの戦う意味が判明したり、各国の思惑が透けて見えてきて、敵国のモビルスーツが徐々にガンダムへ追いついたり、こうしたエピソード毎の積み重ねがじわじわと効いていき、バラバラだったピースが一つになり始めた瞬間に、ポテンシャルが爆発する。こうして1クールの前半は、テロリストにさらわれた要人救出を糸口に、ソレスタルビーイングという組織が「武力による戦争根絶」を謳い、世界平和を願っていることを、あらためて事実上の宣言とすることで幕を閉じることになった。

 

 

罠

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『ダブルオー』14話から1stシーズンの後半が始まるわけだけど、見進めていく上で薦めて下さった方から忠告を受けていた。「ここから本当に止まれなくなります。強いて言うキリのいいところは16話か20話なので……。」と。そんなわけがあるかいと思っていた。

 

 

 

 

なんと、一日で駆け抜けてしまった……。



 

1stシーズン前半は上でも述べたような設定面の露出に加えて、キャラやストーリーを描く中で通るべきノルマなどスロースターターな部分も多かったが、1stシーズン後半にもなるとそれらが出揃っている上に、様々な積み重ねが大きなうねりとなって物語を推進していく。ソレスタルビーイングの活躍が奇しくも敵国側の団結を促してしまったこと、そこに現れる新たなガンダムマイスター、そして明らかになる”監視者”の真の目的、世界統合軍とソレスタルビーイングの全面対決、1stシーズン後半は怒涛のクライマックスに向けて加速度を増していく。

 

 

Ash Like Snow

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ソレスタルビーイングの掲げる「戦争の根絶」という理想を後押しするかのように、三体の新機体"ガンダムスローネ"が現れる。それらを操縦するトリニティ兄妹というクセの強いキャラクター達も含めて、彼らのような新要素が投入されたことの意味を考えた時に、それはあらためて刹那たちガンダムマイスターの存在意義を問うためだったのかな、と。トリニティ兄妹もガンダムマイスターとして各地の紛争に武力介入として参戦はするが、そのやり方は非常に過激なもの。相手を完膚なきまでに叩きのめすのは当たり前で、ついには民間人の働く会社まで襲撃し、多数の死亡者まで出しているそのやり方はテロリストも同然。何も知らない一般人や敵対する国家からすれば、どれもこれもソレスタルビーイングが行ったことにしか見えない。



そして衝撃の18話、声にもならない声をあげてしまった。9話を見た時から『ダブルオー』という物語に信頼を置いていたけど、まさかこんな形で再度証明されるとは……。

 

 

 

 

一見すると『ダブルオー』の物語において、本筋に全く関わらないキャラクターがいる。沙慈・クロスロード(演:入野自由)とルイス・ハレヴィ(演:斎藤千和)、二人ともただの学生でどこにでもいるカップルだ。第1話から登場はしているキャラ達ではあるけれど、自由奔放でワガママなルイスと優柔不断で振り回される沙慈というのがお決まりのパターンで、シリアスな展開が続く『ダブルオー』の物語においての緩衝材の役割を果たしていた。視聴している時はなんとなく「沙慈とルイスのシーン、ちょっと苦手だよな……」などと思いつつ、どうしてこのようなシーンが描かれているのかを考えもしなかった。

 

(↑ほんとよく言えるよなこいつ……。)



 

しかし、沙慈とルイスが過ごすこの何気ない日常が、いわゆるガンダムには関わらない一般人の生活として、とても大切な描写だったことにここで気付かされてしまう。あくまでこの二人はその代表でしか無いけれど、ガンダムモビルスーツが戦っていたり、戦争やテロが頻発する場所では、必ず何の関係もない一般人が被害を受けている。私たちが刹那やガンダムマイスターの活躍に手に汗握る一方で、画面には見えないところで常に誰かが死んでいる。そんな残酷な事実に目を背けさせまいとするかのように、ここで沙慈とルイスの運命が、『ダブルオー』という物語のメインストリームに組み込まれていく。戦争によって生活が一変し、昨日までの自分ではいられなくなったルイス。そんな彼女を支えたくても己の非力さを恨むしかない沙慈。そして沙慈にはもう一つ背負わなければならない悲劇が降りかかり、運命の歯車が無慈悲にも彼を戦争へと誘っていくのがあまりにも辛い。ルイスやその家族の命を虫けらのように扱ったネーナ・トリニティ(演:釘宮理恵)、もうほんとに大嫌いです……。

 

 

 



結局はガンダムもただの兵器でしかなくて、それを平和の象徴とするのか、殺戮の象徴とたらしめるかは、それを操る人の心なのかな、と。その強大な力で神にも悪魔にもなれるとはよく言ったもので、不可能に近い「戦争の根絶」という理想を求めている刹那たちガンダムマイスターの4人が、どれほどの覚悟を持っているかが改めて浮き彫りにさせられたのではないか、と。

 

 

そのシーン展開を見計らったかのように、第18話終盤でガンダムエクシアガンダムスローネ3体と袂を分かつ決意をし、駆逐対象として単騎で突っ込んでいくあの幕切れに、どれほど拳を握っただろう。ここで「FIGHT」の劇伴が最高のタイミングで流れてくるのが巧い。

 

 

FIGHT

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さらに19話で「こんなにもアツいタッグがあるのか……!!」と感動さえしたのが、3体相手に苦戦するガンダムエクシア=刹那のピンチに、まず最初に駆けつけたのがガンダムヴァーチェティエリア・アーデなんですよね。刹那とティエリアって水と油の関係で、性格も違えば考え方も全然違うし、作中で同じチームを組んだことがない。そんな彼が、マイスターと組織の存在意義を脅かすガンダムスローネ=トリニティ兄妹という作中屈指の卑劣な敵を前に、犬猿の仲といえる刹那のピンチで真っ先に駆けつけることに燃えないわけがない。さらにここで、二人の見ている方向が違ってても「戦争の根絶」という同じ目的を持った同志なのだと分かる意味でもアツすぎるんだよな、と。

 

 

 

 

「まさか君と共にフォーメーションを使う日が来ようとは思ってもみなかった。」

「俺もだ。」

みんな大好きフォーメーションS‐32。

 

 

 

 

 

 

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ガンダムマイスターの存在意義、ソレスタルビーイングの目的が再定義され、それぞれが自分自身の戦いに決着をつけるために、1stシーズンはいよいよクライマックスにさしかかる。ついに世界各国の連合軍とソレスタルビーイングによる全面戦争が勃発してしまうのだ。

 

 

 

そして第23話、激化する戦いの最中、ロックオンが死んでしまう。『ダブルオー』という作品を見始めてから、一番好きなキャラクターになったのがロックオン・ストラトスだった。飄々としていながら誰かを思いやることの出来る優しい性格を持っていて、そんな彼の前では刹那やティエリアも自分をさらけ出すことが出来たし、アレルヤにとっても精神的な拠り所になっていたのではないか、と。マイスターをまとめる兄貴分として常に冷静でいるにもかかわらず、家族の命を奪ったテロには激しい怒りを見せる一面を持ち合わせていたり、狙った獲物を絶対に外さない射撃の腕前とか、そりゃさ、カッコいいに決まってるじゃないですか……。

 

 

 

 

第18話でのショックが凄すぎたし、もうこれ以上のものはないと思っていたのに、『ダブルオー』の制作陣はとことん追い詰めてくる。崖から突き落とし手を差し伸べたと思ったら、今度は海の底に沈めてくる。もうやめてくれ……やめてくれ……。しかしそれは同時に、よくぞロックオンをここで散らしたと言い換えることが出来る。



“戦争には善悪がなく、あるのは正義と正義のぶつかり合いだけ”という言葉にもあるように、敵対するユニオンや人革連にも、自分たちの積み上げてきた秩序とそこに従った上で成り立つ正義が存在する。どちらも引き返すことが出来ない、いわば魂と魂のぶつかり合い。しかしロックオンの死が、彼らマイスター達の覚悟を定める引き金となり、共通点を持ち得なかった彼らに一種の”絆”を生み出す。真の意味で仲間となった彼らが、クライマックスの総力戦へ赴くための動機づけとして、ロックオンの死はこれ以上にない理由なのである。



 

双方ともに出し惜しみなんてしない、己のプライドと威信を賭けて挑むその総力戦がいかに過酷であるかを物語るように、戦いが繰り広げられていく。満身創痍のティエリアガンダムナドレでパトリックと相討ちに、ついに完全覚醒したアレルヤ=ハレルヤが多数の敵モビルスーツを撃破するも力尽き、刹那はトランザムで覚醒したエクシアにGNアーマーを装備した姿で黒幕のアレハンドロをついに倒すも、グラハム・エーカーとの一騎討ちで消息不明となってしまう。



 

最終話とは思えないほど押し寄せる怒涛の展開、尋常ではない熱量の作画パートと演じられる声優陣の熱がこもったセリフの掛け合い、それを音楽で盛り上げる川井憲次の劇伴、『ダブルオー』に詰め込まれた要素はすべてが今この時のためにある、といわんばかりの熱量がほとばしるクライマックスに、視聴者はただただ見ていることしか出来ない、この物語の行く末を固唾をのんで見届けることしか許されないのである。

 

 

フレンズ

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本当にとんでもない作品に手を出してしまった……。『ダブルオー』という作品を今まで通らずに、主なネタバレを踏まずにこの歳まで生きてこられたことは、ある意味幸せだったのかもしれない。あの決戦の後、マイスター達の生存はどうなったのか。沙慈は自分の夢を叶えどんな人生を歩んでいるのか、そしてソレスタルビーイングが変えようとしたこの世界はどうなってしまったのか。

 

 

その真相を確かめるためにも、2ndシーズンに心して臨もうと思う。



 

「『武力による戦争根絶』それこそがソレスタル・ビーイングガンダムがそれを成す!俺と、共に!俺達が、ガンダムだ!!!!」

 

 

(2ndシーズンの感想はこちらから)

(劇場版の感想はこちらから)