本当の戦いはここからだぜ! 〜第二幕〜

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感想『仮面ライダークウガ』EPISODE 6「青龍」薙ぎ払え、青龍のごとく

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kazurex1215.hatenablog.jp

(↑第5話の感想はこちら)

 

 

前回の直後から始まる第6話は、ドラゴンフォームへ姿を変えたクウガが、ズ・バヅー・バから徹底的に痛めつけられるシーンで開幕する。繰り返しになるけど、新フォームの初登場回で、ここまでボコボコにされるのは、現行の仮面ライダーシリーズだと想像がつかないし、ありえないことだと思う。床に這いつくばって苦しんで悶えるクウガの痛々しさといったら……。しかし、ここでバヅーはクウガを確実に倒すことが出来たはずなのなのに、その場を去ってしまう。

 

グロンギたちの生態も徐々に明らかになっていく中で、彼ら独自のルールが存在していることが示される。それが「ゲゲル」というもの。どの怪人も自由に人間を襲っていいのではなく、選ばれた怪人のみがバラのタトゥーの女(七森美江)から、腹部のバックルに鍵のようなものが差し込まれて、その権利を与えられる。そして怪人は人間の命を奪う度に、ブレスレットでその数をカウントしている。


さらにグロンギが人間を襲う場合、ある特定の条件に沿って行われている。バヅーがクウガにとどめを刺さなかったのは、この条件から逸脱していたからであり、それは何よりも優先されるべき事項なのだと。グムンやゴオマ、メビオが街で暴れていた際に、こういったシーンが描かれなかったのも、彼らの行動が「ゲゲル」に当てはまっていなかったから。ヒーロー番組特有の、怪人はなぜ複数で現れて人間を襲わないのか?に対する『クウガ』なりのロジカルな答えともいえるなあ、と。

 

 

いくらクウガになったとはいえ、雄介オダギリジョーの体は全身打撲の大ケガを負う。心配で駆けつけた桜子さん村田和美の前ではそんな苦しさを一切見せず、誰にも見えない路地で、その痛みに耐えながら苦悶の表情を浮かべる。

 

仮面の奥に素顔を隠して戦うのが仮面ライダーであり、どれだけ傷ついても悲しみを抱えても、人々の平和を守るために戦い続ける。この精神性を表現するのであれば、雄介が痛みを堪えるシーンはその弱さの象徴だし、描かないほうがいいのかもしれない。

 

しかし、雄介もまた一人の人間であり、こんな若者が今まさにグロンギという異形の者へ立ち向かっている過酷さを表現するのであれば、この描写は絶対に必要だったと思う。

 

 


一条さん葛山信吾が語ったように、雄介と一条さんは似た者同士である。桜子さんからもう戦わないように、クウガへ変身することを辞めさせるようにお願いされても、これ以上関わるなと叱咤しても、雄介を止めることは出来なかった。

 

何を言っても無駄だというのは薄々分かっていただろうし、だからこそトライチェイサーを託し共に戦っていく決意をした。ここで桜子さんに対してもっと言い訳をしてもいいのに、ただ謝罪に徹するのが一条さんらしい。

 


一条さんよりも長く友人関係でいる桜子さんも、雄介を今さら止めることは出来ないことも、戦う覚悟を決めた彼の決意も、おそらく分かっていた。ただ、何より自己犠牲を払い続けて戦う雄介が雄介でなくなるかもしれない、という「恐怖」「不安」が胸を覆っていたのだろう。

 

研究室のメンバーも教授も、グロンギに命を奪われているし、自身も殺されかけている。この数日間の中で何度も「死」に直面している桜子さんの気持ちを考えたら、心中穏やかでなくなるのは至極真っ当だと思う。簡単に踏ん切りなんてつくわけがない。

 


でも、たまらず出向いたわかば保育園で、雄介の妹であるみのり(葵若菜)は、そんな桜子を肯定する。そして「普通に考えて、普通にすればいい」という言葉を口にする。これは第5話でも、雄介が桜子さんに同じ言葉をかけている。

 

この言葉って凄くシンプルだけど、どう解釈するかで少しニュアンスも変わってくるのかな、と。自分もこの言葉の意味を考えた時に、突き詰めていくと少し迷ってしまったんだけど、自分なりの解釈としては、「いつもと同じ、いつものままでいればいい」ということ。これって、桜子さんの中では「答え」が決まっていることを、雄介は分かっていたって意味だと思っていて、何が正しくて何をするべきか、桜子さんなら「普通に考えて」「普通にする」意味を理解しているからこその言葉なのだ、と。

 

 

 

一方その頃、杉並区で警官と第6号=バヅーが衝突。そこに一条さんが向かうもやはり警察は劣勢に追い込まれてしまう。ほどなくして現場に駆け付ける雄介。このシーンでバイクに乗って向こう側からやってくる画は、何度見ても「良いなぁ」と思ってしまう。仮面ライダーだからこそ、こういう画が見たいんだよな。

 

 

現場へ出向く前、雄介とおやっさん(きたろう)との会話の中で、赤と青の使い分けを語るシーンがある。ソースと醤油の使い分けでさらっと面白おかしく説明する場面だけど、状況に合わせてフォームチェンジを駆使していく本質が描かれてて、すごく好きなシーンでもある。

 

 

ただ、やはり体が順応していないのか、変身するも最初から青のクウガになってしまう。ドラゴンフォームはマイティの手を広げるファイティングポーズとは違い、どこか拳法の型のような構えを取る。しかしスピード面では同等だとしても、やはり打撃面で敵わず、バヅーにダメージを与えることが出来ない。

 

 


そこへスクーターに乗った桜子さんがやってくる。「普通に考えて、普通にする」という言葉を受け取り、桜子さんにしか出来ない古代文字の解読で、雄介を手助けする「覚悟」が定まった瞬間なのである。ここに制作陣の思いが感じ取れるのが、ヒロインをただのお飾りにするのではなく、前線にまで駆けつけるアクティブなヒロインにしたかったというところ。近年の仮面ライダーだと、「ドライブ」「エグゼイド」「ゼロワン」にもその片鱗を感じる。

 

 


「水の心の戦士!長きものを手にして敵を薙ぎ払え!」

 

 

「水の心…長きもの…そうか!!これか!!」

 

 

広場の手すりを蹴り上げ、まるで中国の棒術のごとく華麗に振り回すと、その形がみるみるうちに変貌していく。これこそドラゴンフォーム専用武器「ドラゴンロッド」である。

 

ここのシーン、どれだけ真似したか!!

 

広場の手すりを見つけては全力で蹴り上げたし!!

 

なのに、鉄パイプは取れなくて普通に痛いし!!

 

 

当時熱心に棒さばきを練習したおかげもあって、たぶん今でもくるくる回せる気がするんですよね。とにかく格好いい、に尽きる。

 

 

 

それにしても、まさか鉄パイプが棒状の武器に変化するなんて、誰が想像しただろう。その辺にある身近なものを武器に変形させる仮面ライダーって、『クウガ』以前も以後もいなかったし、唯一無二だったな、と。当時の私を含めた子供たちは、道端に落ちてある木の棒を見つけては、ごっこ遊びでドラゴンロッドに変化することを願いつつ、振り回して遊んでいたし、未だに長い鉄パイプや、黄色と黒の棒を目にすると振り回したくなる衝動に駆られるのは、自分だけではないはず。……と思いたい。

 

 

ドラゴンロッドを手にしたクウガは形勢逆転、バヅーの急所に向けて次々と打撃を打ち込んでいく。振る度になる鈴の音が凛としているのとは対照的に、徐々にバヅーが追い込まれていく。そして一瞬怯んだところに、必殺の一撃「スプラッシュドラゴン」を決めて、クウガはついに勝利をおさめた。桜子さんにもやっと笑顔が戻った。

 

 


雄介への理解者が増えていく一方で、今度はある少女についてのエピソードが展開される。

 

今度のクウガは緑色です。

 

それでは次の更新でお会いしましょう。

 

 

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(↑第7話の感想はこちら)